~見えない裁判官に縛られる現代人~

1. 最初に・・私たちはなぜ、こんなに息苦しいのでしょうか

「最近、なんだかいつも疲れている」 「平日は仕事でヘトヘトなのに、休日にのんびりしていると、なぜか焦ってしまう」

みなさんの中に、そんな原因のよく分からない「息苦しさ」や「心のモヤモヤ」を抱えている方はいらっしゃいませんか?

今の日本は、ひと昔前に比べればとても便利で、豊かな社会になりました。スマートフォンがあれば何でも調べられますし、会いたい人、行きたい場所、やりたい仕事を自分で自由に選べる時代です。しかしその一方で、私たちの心はいつも何かに追われ、満たされない気持ちを抱えています。

この息苦しさの正体は、実はウイルスや病気ではありません。現代の社会を広く覆っている「すべては自分の責任である」という、目に見えないプレッシャーと思います。

私たちはいつの間にか、「他人に頼ってはいけない」「うまくいかないのは自分の努力が足りないせいだ」という思い込みに縛られるようになってしまいました。今回は、私たちの心をじわじわと蝕む「自己責任」という静かな病の正体について、みなさんと一緒に分かりやすく紐解いていきたいと思います。

2. 心の中にいる「厳しい裁判官」

この「自己責任」という病が怖いのは、誰かから「お前が悪い」と無理やり押し付けられるのではなく、自分自身で「自分が悪いに違いない」と思い込んでしまう点にあります。

今の時代は、「自由」がとても強調されます。どんな進路を選ぶか、どんな仕事に就くか、どんな生き方をするか。これらはすべて「あなたの自由ですよ」と言われます。一見すると素晴らしいことのように思えますが、実はこの自由には、とても重い裏のルールが隠されています。それは、「自分で自由に選んだのだから、失敗したときの責任も全部あなたが一人で取りなさい」というルールです。

すると私たちは、無意識のうちに自分の頭の中に「厳しい裁判官」を飼うようになってしまいます。 何かトラブルが起きたり、生活が苦しくなったりしたとき、その裁判官は頭の中でこう告げてきます。 「体調を崩したのは、自分の管理が甘かったからだ」 「仕事がうまくいかないのは、周りより努力が足りないからだ」 「こんなに苦しいのは、過去の自分の選択が間違っていたからだ」

本来であれば、会社の労働環境が悪かったり、たまたま運が悪かったり、社会の仕組みが追いついていなかったりといった「周りの原因」もあるはずです。それなのに、頭の中の裁判官はそれらをすべて無視して、「全部お前が悪い」という判決を下してしまうのです。このように、自分を自分で厳しく監視し、責め続けてしまう状態こそが、自己責任という病の正体です。

3. 「完璧な強者」にならなければいけないという罠

この病が進むと、社会は「弱さ」を絶対に許さない、ギスギスした空気へと変わっていきます。

本屋に行けば「こうすれば成功する」「もっと自分を成長させよう」というポジティブな本が並び、SNSを開けば、充実した毎日を送る人たちのキラキラした姿が目に入ります。社会は私たちに、常に健康的で、前向きで、仕事ができて、自分の人生を完璧にコントロールしている「強い人間」であることを求めてきます。

しかし、人間はロボットではありません。どれほど優秀で頑張っている人でも、突然重い病気になることもあれば、家族の介護が必要になることもあります。人間関係のストレスで、心がポキッと折れて動けなくなってしまうことだってあります。生きている限り、誰もが「弱者」になる可能性を秘めているのです。

それなのに、「うまくいかないのは自己責任だ」とされる社会では、弱みを見せることが「恥ずかしいこと」や「負け」を意味するようになってしまいます。 「周りに迷惑をかけてはいけない」 「頼りない人間だと思われたくない」 そんな恐怖から、みんなが「私は大丈夫です」「順調です」というお面を被って、無理をして生きるようになります。こうして、本当に限界が来るまで誰にも「助けて」と言えなくなり、一人で抱え込んで倒れてしまう人が増えていくのです。

4. 「私は我慢しているのに」という怒りの連鎖

「自己責任」という病は、自分の心を傷つけるだけでなく、他人に対する優しさや思いやりの心まで奪っていきます。

自分自身が「自己責任なんだから、甘えてはいけない」と必死に我慢して、痛みに耐えて生きていると、心の中に少しずつ「黒い感情」が溜まっていきます。それは、「自分はこんなに苦しい思いをして頑張っているのに、どうしてあの人は楽をしているんだ」「どうしてあの人だけ助けられているんだ」という、他人に対する怒りや妬みです。

例えば、生活が苦しくて公的な支援を求めている人に対して、「もっと自分で努力すべきだ」と厳しい言葉を投げかけたり、育児や介護で困っている人に対して冷ややかな視線を向けたりする現象が、今の社会ではよく見られます。 これらは、正義感から批判しているのではなく、自分が過酷な我慢レースに参加させられているからこそ、ルールを破って(他人に頼って)いるように見える人が許せないのです。

しかし、他人の弱さを許さず、足を引っ張り合う社会は、とても冷たい場所になってしまいます。「あいつが苦しいのはあいつのせいだ」と突き放す社会は、巡り巡って、自分が困ったときに誰も手を差し伸べてくれない社会として、自分自身に返ってくるからです。この「優しさの拒絶」の連鎖が、現代社会を生きる私たちの一番の不安を生み出しています。

5.最後に・・お互いに「上手に頼り合う」社会へ

では、私たちはこの「自己責任」という息苦しい病から、どうすれば抜け出すことができるのでしょうか。

一番大切なのは、「自立」という言葉の意味を、ガラリと変えてみることです。 私たちはつい、自立のことを「誰の力も借りずに、何でも一人でできるようになること」だと思いがちです。しかし、それは自立ではなく、ただの「孤立」です。

人間は、一人では絶対に生きていけません。本当の自立とは、困ったときに「この人に相談しよう」「あの公的な制度を使おう」「あの場所に行ってみよう」と言える選択肢を、自分の周りにたくさん持っている状態のことを言います。頼れる場所がたくさんあるからこそ、一つの場所に依存しすぎず、安心して自分の足で立っていられるのです。

まずは、自分の中の「厳しい裁判官」の声を少し小さくしてみましょう。苦しいときに「全部自分のせいだ」と責めるのをやめて、「社会の仕組みや、たまたま運が悪かった部分もあるよね」と、自分を許してあげることです。

そして、「人に迷惑をかけてはいけない」という呪縛を少し緩めて、「人間はお互いに迷惑をかけ、かけられながら生きるものだ」と認めることが大切です。身近なコミュニティの中で、「最近ちょっと疲れていて」「実はこれがうまくいかなくて」といった、小さなお困りごとを普段から口に出せる空気を作っていきましょう。

誰かが「助けて」と言ったときに、それを「努力不足だ」と裁くのではなく、「頼りにしてくれてありがとう」と笑顔で受け止める。そんな「弱さに優しい社会」を、私たちの足元から少しずつ作っていくこと。それこそが、自己責任という病を治し、誰もが安心して暮らせる未来へつながる、大切な一歩になるはずです。