― 早く、正しく、埋め尽くされる時代の中で ―

私たちの社会は、年々「隙間」がなくなってきているように感じます。
時間の隙間、感情の隙間、考える隙間。
それらが次々と効率や正解で埋められ、「余白」が許されない空気が広がっているようにも見えます。

スマートフォンを開けば、すぐに答えが見つかります。
何が正しく、何が間違っているのか、どちら側に立つべきかも、瞬時に提示されます。
便利である一方で、私たちはいつの間にか「自分で考える余地」を手放してしまってはいないでしょうか。

本来、社会はもっと曖昧で、不完全で、揺らいでいるものだったはずです。
そしてその揺らぎの中にこそ、人が人であるための「視点」や「想像力」が存在していました。何度かテーマである"社会の余白"は使ってきましたが、あらためて考えてみたいと思います。

「余白」とは、何もしないことではない

「余白」と聞くと、何もない空間や、怠けている状態を思い浮かべる方もいるかもしれません。
しかし、ここでいう余白とは、単なる空白ではありません。

余白とは、
すぐに結論を出さなくてもよい時間
・判断を保留しても許される空間
・言葉にできない感情を、そのまま置いておける場所

そうした「未完成のまま存在できる状態」のことを指します。

私たちは、何かを感じた瞬間に、それを説明しようとします。
怒りなら理由を、悲しみなら原因を、迷いなら解決策を。
けれど、本当は「よくわからないまま」の感情も、人間にとって自然なものです。

それをすぐに整理し、名前をつけ、分類してしまうことが、時に自分自身の感覚を切り捨ててしまうこともあるのです。

社会が「正しさ」で満たされるとき

現代社会は、正しさに あふれています。
善意から発せられた正論、啓発、主張など、それらは確かに社会を良くしようという思いから生まれています。

しかし、正しさが過剰になると、別の問題が生まれます。
それは、「違う感じ方」をする人が、存在しづらくなることです。

同じ出来事に対して、
・怒る人
・悲しむ人
・何も感じない人

がいても、本来はおかしくありません。

ところが社会が「こう感じるべき」「こう考えるべき」という方向に強く傾くと、その枠から外れた感情は、無言の圧力によって押し込められてしまいます。

余白がない社会では、
「感じない自由」
「わからない自由」
「今は答えを出さない自由」

が失われていくのです。

視点とは、立場を増やすこと

「視点を持つ」とは、自分の意見を強くすることではありません。
むしろ、自分とは違う位置から世界を見る可能性を残しておくことです。

例えば、同じ出来事でも、
・当事者
・傍観者
・支援する側
・支援される側
では、見える風景がまったく異なります。

視点を増やすとは、「どれが正しいか」を決めることではなく、
「それぞれにそう見える理由がある」と理解しようとする姿勢です。

この姿勢が社会に残されていれば、意見の違いは「対立」ではなく、「重なり合わない風景」として扱われます。

しかし視点が失われると、社会は単線化します。
一つの答え、一つの正義、一つの感情。
そこから外れる人は、間違いか、無理解か、敵として扱われてしまいます。

余白は、弱さを守る

余白がある社会は、弱さを排除しません。
すぐに立ち直れない人、言葉にできない人、何度も同じところで立ち止まる人。

そうした人たちは、効率だけを重視する社会では「遅れ」と見なされがちです。
しかし、人生は直線ではありません。
回り道や停滞の中で、人は自分なりの意味を見つけていきます。

余白があるということは、「今は進めなくてもいい」「うまく説明できなくてもいい」と社会が許している状態とも言えます。

それは決して甘やかしではありません。
むしろ、人が壊れずに生き続けるための、安全装置のようなものです。

社会に余白を残すという選択

余白は、自然に生まれるものではありません。
放っておけば、効率と正解によって、すぐに埋め尽くされてしまいます。

だからこそ、私たちは意識的に余白を残す必要があります。
・急いで結論を出さない
・他人の沈黙を尊重する
・「わからない」という言葉を許す

こうした小さな態度の積み重ねが、社会の空気を変えていきます。

視点も同じです。
自分の考えを持ちながら、同時に「別の見え方があるかもしれない」と考える。
それだけで、社会は少し柔らかくなります。

締めとして

社会に余白と視点を残すということは、不完全さを受け入れるということでもあります。

すべてが説明できなくてもいい。
すぐに理解し合えなくてもいい。
それでも、人は人として隣にいられる。

そんな前提が、社会のどこかに残っていること。
それが、これからの時代において、静かに、しかし確実に必要とされているのではないでしょうか。

埋め尽くさないこと。
決めつけないこと。
少しだけ、立ち止まること。

その「少し」が、社会を息苦しさから守り、人が人らしく生きる余地を残してくれるのだと思います。