
「相関関係」と「因果関係」を混同する社会の危うさ
~思い込みが世論を動かすとき~
大阪大学大学院の吉森 保先生のご著書の中に、「相関関係」と「因果関係」の違いについて、非常に納得感のある説明があります。
たとえば、「タバコを吸う人に肺がんが多い」という事実。これは一見すると「タバコが肺がんを引き起こす」という因果関係のように思われがちですが、厳密にはこの段階では「相関関係」にすぎません。
つまり、「AとBが同時に起きやすい」という関係が観察されているに過ぎない、ということです。
しかし、タバコの煙に含まれる特定の化学物質が肺の細胞に入り、DNAを傷つけ、遺伝子変異を引き起こし、それががん化につながる――この一連のプロセスが、実験や検証によって示されてはじめて、「タバコは肺がんの原因である」と言えるようになります。
これが「因果関係」です。
この説明は、生命科学の話であると同時に、私たちの社会全体に通じる、極めて重要な考え方を示していると感じます。

相関関係は「一緒に起きている」だけの話です
相関関係とは、「二つの事象が一緒に起きやすい」という観察結果を指します。
しかし、それだけでは、
- AがBの原因なのか
- BがAの原因なのか
- あるいは、AとBの両方に影響を与えている「第三の要因」が存在するのか
このいずれなのかは分かりません。
たとえば、
「アイスクリームの売上が伸びると、水難事故が増える」
これは統計的には相関関係があります。しかし、アイスクリームが人を溺れさせているわけではありません。
暑い季節になると、アイスクリームが売れ、同時に海や川で遊ぶ人が増える――この「気温」という第三の要因が、両方に影響しているのです。
このような例は、少し考えれば誰でも理解できます。
しかし、不思議なことに、これが医療、社会問題、政治、経済の話になると、多くの人が急に冷静さを失い、「相関」を「原因」と思い込んでしまいます。

マスコミが混同を助長する場面も少なくありません
問題をさらにややこしくしているのが、マスコミ報道です。
「〇〇な人ほど△△になりやすい」
「〇〇をすると幸福度が上がる」
「〇〇政策を行った地域では犯罪が減った」
こうした見出しは非常に分かりやすく、人の関心を引きます。
しかし、その多くは「相関関係」を示したデータに基づいているだけで、「因果関係」が十分に検証されていないケースも少なくありません。
本来であれば、「これは相関関係であり、因果関係が証明されたわけではありません」と補足説明をすべき場面でも、時間や紙面の制約、あるいはセンセーショナルな表現を優先するあまり、その前提が省略されてしまうことがあります。
結果として、受け手である私たちは、「そうか、〇〇が原因なのだ」と無意識のうちに思い込んでしまうのです。

選挙の時期だからこそ、特に注意が必要です
そして、今まさに本邦では衆議院選挙という、社会にとって極めて重要な局面を迎えています。また、大阪においては何故か、府知事市長選です。
選挙期間中、候補者の演説や公約、討論を見聞きしていると、「それは本当に因果関係として言える話なのだろうか」と首をかしげたくなる主張に出会うこともあります。
- 「〇〇をやったから景気が回復した」
- 「〇〇が増えたから社会が悪くなった」
- 「〇〇層が支持しているから、この政策は正しい」
これらの多くは、冷静に見れば「相関関係」を述べているに過ぎない可能性があります。
しかし、因果関係の検証を行わないまま、「原因はこれだ」と断定的に語られると、聞き手は強い印象を受けます。
政治の世界では、分かりやすさが重視されがちです。
しかし、分かりやすさと正確さは、必ずしも一致しません。

思い込みは、民主主義を弱らせます
相関関係と因果関係を混同することの本当の問題は、「間違った理解」にとどまりません。
それは、民主主義そのものを弱らせる危険性を持っています。
思い込みに基づく主張は、対話を難しくします。
なぜなら、「原因はこれだ」と信じ込んでいる人同士は、互いに相手の話を聞かなくなるからです。
そこに検証や仮説という余地はなく、「正しいか、間違っているか」だけの世界になってしまいます。
本来、政策とは仮説の集合体です。
「この施策を行えば、こういう結果が期待できるのではないか」
「ただし、別の要因も考慮する必要がある」
このような姿勢があってこそ、修正や改善が可能になります。

「分からない」と言える勇気を持つために
因果関係を示すには、時間も労力もかかります。
ときには、「まだ分かっていない」と認めることが、最も誠実な態度である場合もあります。
医療の世界では、「エビデンスが不十分である」という表現がよく使われます。
これは逃げではありません。むしろ、現時点で言えることと言えないことを明確に区別する、責任ある姿勢です。
政治や報道、そして私たち市民一人ひとりも、本来は同じ姿勢を持つべきではないでしょうか。

私たちにできる、ささやかながら重要なこと
相関関係と因果関係の違いを理解することは、専門家になるための話ではありません。
ニュースを見るとき、演説を聞くとき、SNSの投稿を読むときに、
- これは「一緒に起きている」話なのか
- それとも「原因と結果」が示されているのか
- その間に、別の要因は考えられないのか
こうした問いを一度、心の中で立ててみるだけで、私たちの判断は大きく変わります。

思い込みに流されず、安易な断定を疑い、分からないことを分からないままであったとしても、考え続ける姿勢。
それは手間のかかる態度ですが、成熟した社会を支える、最も確かな土台でもあります。
選挙という節目の今だからこそ、あらためてこの基本に立ち返りたい――私は、そう強く感じています。
