~それでもリスクを冒しますか?~

私は趣味の為に月に1~2度、早朝の高速道路を利用していますが、そこで、何度も遭遇しましたトラック運転手の「ながらスマホ」。
特に、大阪府の南を走る西名阪→名阪国道(一般道)を利用する人達は、何度か遭遇した経験があると思います。私の経験を基に、思う事を書きます。

まだ街が本格的に動き出す前の静かな時間。大型トラックが一定の間隔を保ちながら流れる一番左の車線で、なぜかポツンと速度を落とし、車線内でゆらゆらと揺れるように走る車がいます。不審に思いながら追い越し際にチラリと目をやると、やはりというべきか、ドライバーの左手にはスマートフォンの画面が光っている。

一般道でも、どこか挙動がおかしい車の横を通り過ぎるたび、同じ光景を目にします。「これだけニュースで悲惨な事故が報じられているのに、なぜ?」—強い憤りと共に、言いようのない恐ろしさと素朴な疑問が込み上げてきます。

事故のリスクを知らないはずはないのに、なぜ人はハンドルを握りながら画面を見てしまうのでしょうか。

「自分だけは大丈夫」という透明な鎧

その行動の背景には、人間の心が無意識に作り出すいくつかの「認知の歪み」が潜んでいます。

まず大きいのが、「自分に限って事故なんて起きない」と思い込む正常性バイアスです。 過去に何度か「一瞬スマホを見て、何事もなく目的地に着いた」という経験があると、脳はその幸運を「自分の運転技術」や「安全な行為」だと錯覚し始めます。本当は単に運が良かっただけなのに、「今回も数秒なら大丈夫」という根拠のない自信が、危険への恐怖を上書きしてしまうのです。

さらに、人間には「自分は平均よりも運転が上手い」と思い込みやすい傾向もあります。「事故を起こすのは不注意な誰かであって、気配や前方の動きを感じ取れる自分は大丈夫だ」という過信が、スマホを手にする抵抗感を削ぎ落としていきます。

脳を揺さぶる小さな画面の誘惑

心理的な麻痺だけでなく、現代のスマートフォンそのものが持つ「依存性」も関係しています。

画面の点灯や通知音は、脳内で快楽物質であるドーパミンを分泌させます。「誰かからメッセージが届いたかもしれない」「大事な連絡かもしれない」という期待感は、思いのほか強力です。

「取り残されたくない」「すぐに確認しなければ」という焦燥感が、時速80kmものスピードで鉄の塊を走らせているという現実的な恐怖を追い越してしまう。一人きりの車内という閉ざされた空間もまた、公道を走っているという緊張感を鈍らせる要因になっているのかもしれません。

特に早朝の高速道路は、景色も変わらず単調で、長距離走行の疲れや強烈な眠気が襲ってくる時間帯です。「眠気を覚ますため」「気を紛らわせるため」と手を出したスマホが、結果として脳の注意力を完全に奪い取ってしまうのです。

画面を見つめる視線の先にあるもの

スマホを操作している車がふらつくのは、人間が「意識や視線を向けた方向」に無意識に体を傾けてしまうからです。左手でスマホを持ち、斜め下に視線を落とすと、車は自然と左へと寄っていきます。そしてハッと気づいて慌ててハンドルを右に戻す——あの不自然な蛇行は、ドライバーの意識が路上から完全に消えている証拠でもあります。

時速80kmで走る車は、わずか2秒目を切っただけで44メートル以上も「目をつぶったまま」進みます。もし前に事故車や渋滞の末尾があったらどうなるか。考えるだけでも背筋が凍ります。

他人の心理や行動を、走行中の車内から変えることはできません。だからこそ、そうした車を見かけたときは「危険な存在から一刻も早く離れる」ことが、私たちが取れる唯一の防衛策です。

「自分は大丈夫」という思い込みほど、道路の上で恐ろしいものはありません。 朝の光の中で目撃するあの危うい挙動を他人事と思わず、ハンドルを握る責任と命の重さを、私たち自身が改めて胸に刻む必要があるのではないでしょうか。