
〜当たり前にできることの大切さを、もう一度考えてみる〜
当たり前すぎて、気づかないこと
先日、『嚥下の観点から見た唾液の役割と重要性』~咀嚼・嚥下・唾液の仕組み~という内容の講演会に参加しました。
私たちが毎日、何気なく繰り返している「食べる」という行為。その仕組みや重要性について、改めて学ぶことができ、大変有意義な時間となりました。
食べ物を口に入れ、かみ砕き、唾液と混ぜ合わせ、飲み込む。私たちは、こうした一連の動作をほとんど意識することなく行っています。
しかし、考えてみれば、これは決して単純な動作ではありません。歯だけでなく、舌、唇、頬、喉などの筋肉、そして、それらを適切に動かす神経の働きが連携することで、初めて安全に食事をすることができます。
普段、当たり前にできていることほど、その仕組みや価値を深く考える機会は少ないものです。
今回の講演会は、まさにそのことを考えるきっかけになりました。
さらには、嚥下状態をポータブルエコーを使いスマホ経由でモニターで確認し、AIを駆使し状態を文字化、そして主治医にそれを確認してもらう事も可能になっていることに驚きました。

咀嚼・嚥下・唾液。それぞれに大切な役割がある
まず、咀嚼(そしゃく)とは、食べ物をかみ砕くことです。
食べ物を細かくするだけでなく、唾液と混ぜ合わせ、飲み込みやすい状態に整える役割があります。十分にかめなければ、食べ物を口の中でまとめることが難しくなり、飲み込む際の負担も大きくなります。
次に、嚥下(えんげ)とは、食べ物や飲み物を飲み込むことです。
口の中から喉を通り、食道へと送り込む過程では、複数の筋肉が適切なタイミングで働きます。この連携がうまくいかず、食べ物や飲み物、唾液などが気管に入ってしまうことを誤嚥(ごえん)といいます。
そして、忘れてはならないのが唾液です。
唾液には、口の中を潤す、食べ物をまとめる、飲み込みを助ける、口腔内を保護するといった働きがあります。
唾液が少なくなると、口の中が乾燥するだけでなく、食べにくさや飲み込みにくさにつながることがあります。
つまり、咀嚼・嚥下・唾液は、それぞれが独立しているのではなく、互いに関係しながら、私たちの食事と健康を支えているのです。

多発性硬化症と「食べる」という行為
私は、多発性硬化症(MS)という中枢神経系の疾患を抱えています。
この病気は、脳や脊髄などの中枢神経系に障害が生じることで、視覚、運動、感覚など、さまざまな症状が現れる病気です。
症状の現れ方には個人差があり、同じ病気であっても、誰もが同じ症状を経験するわけではありません。
その中には、咀嚼や嚥下に関わる筋肉の動きや協調が影響を受け、食べ物をかみにくい、飲み込みにくいといった問題が生じる方もいます。
実は私自身、時々、舌や唇をかんでしまうことがあります。
普段なら何事もなくできる動作でも、ふとした瞬間に思いどおりにいかない。こうした経験を通じて、食べるという行為にも、神経と筋肉の精密な連携が必要なのだと改めて感じます。
もちろん、舌や唇をかむことが、すべてMSによるものとは限りません。しかし、こうした変化を単なる不注意として片づけず、自分の身体に何が起きているのかを考えることには意味があると思います。
また、MSでは疲労が強くなると、食事の後半に嚥下が難しくなる場合もあります。
病気のある方はもちろん、そうでない方も、食べにくさや飲み込みにくさが続く場合には、年齢のせいだと決めつけず、医療機関に相談することが大切です。

唾液と誤嚥性肺炎の関係
嚥下の問題を考えるとき、注意したいのが誤嚥性肺炎です。
食べ物や飲み物、唾液などが気管に入り、口の中の細菌などが肺に運ばれることで、肺炎を発症することがあります。
特に、嚥下機能が低下している方や、免疫力・体力が低下している方などでは、注意が必要です。
ここで重要なのは、唾液そのものが悪いのではないということです。唾液は本来、私たちの健康を守るために欠かせないものです。
問題となるのは、唾液や食べ物を適切に飲み込めないこと、そして、口腔内の細菌などが関わることです。
さらに、誤嚥しても必ずむせるとは限りません。目立った症状がなくても誤嚥が起こることがあるため、むせないから大丈夫、と判断することはできません。
食事中によくむせる、食後に声がガラガラする、食事に時間がかかる、体重が減ってきた。このような変化があれば、早めに医師や歯科医師、言語聴覚士などの専門家に相談したいものです。

自分の身体に関心を持つことから始めよう
では、私たちは日常生活の中で、何を意識すればよいのでしょうか。
まずは、食事を急がず、一口ずつ落ち着いて食べること。食べ物を口に入れたまま話すことを避け、姿勢を整えて食事をすること。そして、歯磨きなどの口腔ケアを丁寧に続けることです。
ただし、すでに嚥下障害が疑われる方は、食べ方や姿勢、飲み物のとろみなどを自己判断で変更するのではなく、専門家に相談し、自分の状態に合った方法を確認することが大切です。
また、咀嚼や嚥下の状態だけで、健康状態のすべてを判断することはできません。それでも、普段の食事の中で起こる小さな変化は、自分の身体を見つめ直す大切な手がかりになります。
私は、病気を経験したからこそ、健康なときには気づかなかった身体の働きに目を向けることが増えました。
そして、それは病気のある人だけに必要なことではないと思います。
年齢を重ねることによっても、身体の機能は少しずつ変化していきます。今は問題なくできていることでも、将来にわたって同じようにできるとは限りません。
だからこそ、症状が出てから考えるのではなく、普段から自分の身体に関心を持つことが大切なのではないでしょうか。

当たり前にできる今だからこそ
今回の講演会を通じて、私は改めて、人間の身体が持つ仕組みの精巧さと、それを支える働きの大切さを感じました。
食べることは、単に栄養を摂取するためだけの行為ではありません。おいしいものを味わい、家族や友人と食卓を囲み、会話を楽しむ。食事は、私たちの生活の質にも深く関わっています。
その日常を支えている咀嚼、嚥下、そして唾液の働き。
あまりにも自然にできているため、普段は意識することさえないかもしれません。しかし、その仕組みを知ることは、自分の健康を守ることにつながります。
当たり前にできることの価値を、できなくなってから知るのではなく、できている今だからこそ知っておく。
皆さんも今日の食事の際に、ほんの少しだけ、ご自身の「かむこと」「飲み込むこと」「唾液の働き」に意識を向けてみてはいかがでしょうか。
その小さな意識が、自分の身体を大切にする第一歩になるかもしれません。
※本稿は一般的な健康情報の提供を目的としています。症状や対処法には個人差があるため、気になる変化がある場合は医療専門職にご相談ください。

