~「自分さえよければ」が、人間関係を壊していく~

人間関係の中で、どうしても理解できないことがあります。

それは、「なぜ、この人は平気で人を裏切れるのだろう」ということです。

約束を破る。
信頼を利用する。
お世話になった人の気持ちを踏みにじる。
自分の都合が悪くなると、まるで何事もなかったかのように振る舞う。

しかも、本人には「裏切った」という自覚さえないことがあります。

私はこれまでの人生で、3人の人に対して「絶縁」という意思を伝え、その後のお付き合いをやめた経験があります。

3人とも、そこに至った理由はそれぞれ違いました。

しかし、振り返ってみると、ある共通点がありました。

それは、「自分中心の考え方」です。

そして、もう一つ。

自分中心に考えていることそのものに、自分では気づいていない。

私は、ここに人間関係の難しさがあるように思いますが、その中で生きているのも事実なので、曖昧にはできないところであると思っています。


「裏切る人」は、自分を裏切る人だと思っていない

裏切られた側からすると、「あれほど信頼していたのに」と感じます。

ところが、裏切った側には、まったく違う論理が存在している場合があります。

「自分は悪くない」
「仕方がなかった」
「そんなに大したことではない」
「相手だって分かってくれるだろう」
「自分の事情を優先しただけ」

つまり、本人の中では「裏切り」が「自分を守るための当然の行動」に置き換えられているのです。

ここが非常に厄介です。

人は、自分に都合の悪い事実を、そのまま受け入れることが苦手です。

だから、自分の行動を正当化する理由を無意識に探します。

そして、「自分は悪くない」という物語を自分自身に作ってしまう。

その結果、相手がどれほど傷ついたのか、どれほど信頼を失ったのかという視点が抜け落ちてしまいます。


「自分中心」は、必ずしも「悪い人」という意味ではない

ここは大切なところです。

自己中心的な人が、すべて悪人だと言いたいわけではありません。

誰にでも、自分を守りたい気持ちはあります。

自分の生活を大切にすることも、自分の利益を考えることも、決して悪いことではありません。

問題なのは、

「自分を守るためなら、相手にどんな影響を与えても構わない」

というところまで行ってしまうことです。

そして、その境界線が分からなくなっている。

これは、ある意味では「弱さ」なのかもしれません。

自分の欲求を抑えられない。
相手の立場に立って考えられない。
自分の間違いを認められない。
失った信頼と向き合えない。

こうした弱さが、「自分中心」という形で表れていることがあります。


本当に怖いのは、一度の裏切りではない

人間は誰でも間違えます。

私自身も、これまでの人生で人を傷つけたことがあるでしょう。

だからこそ、一度の失敗だけで、その人を決めつける必要はないと思っています。

大切なのは、その後です。

「申し訳なかった」と振り返ることができるのか。

「自分の行動で相手を傷つけた」と認めることができるのか。

そして、同じことを繰り返さないようにできるのか。

ここに、人間関係の分かれ道があります。

逆に怖いのは、同じことを何度も繰り返すことです。

相手が変わっても、場所が変わっても、周囲の人が変わっても、なぜか同じ問題を起こす。

もしそうであれば、問題は「相手」ではなく、その人自身の考え方にある可能性があります。


「私には関係ない」が、周囲を傷つける

私が3人の人との関係を終わらせる決断をしたとき、単純に「自分が嫌だったから」という理由だけではありませんでした。

その人の行動が、私だけではなく、私の周囲にまで影響を及ぼす可能性があると判断したからです。

ここは非常に重要なポイントだと思っています。

人間関係は、一対一で完結しているようで、実際にはそうではありません。

誰か一人の自己中心的な行動が、家族、友人、仲間、組織など、周囲の人に影響することがあります。

本人は、

「自分と相手の問題」

と思っているかもしれません。

しかし、その人を信頼している人が多ければ多いほど、その影響は広がっていきます。

だからこそ、時には距離を置くことが必要になる。

私はそう考えています。


「絶縁」は、相手を罰するためではない

もちろん、「絶縁すればすべて解決する」と言いたいわけではありません。

人間関係には、それぞれ事情があります。

話し合って修復できる関係もあります。

距離を置くことで改善する関係もあります。

そして、どうしても関係を続けることが難しい場合もあります。

私自身が「絶縁」を選んだ3人については、結果的にその判断は間違っていなかったと思っています。

なぜなら、私が関係を終えた後も、その人たちの行動が、私の周囲の人に対して同じように繰り返されていったからです。

それを見て、

「やはり、問題は私との関係だけではなかったのだ」

と感じました。

ただし、それでも私は「自分の判断が一般的に正しい」とは思っていません。

人間関係に、万人に通用する正解などないからです。

だからこそ、必要なのは「絶縁すること」ではなく、

自分と周囲を守るために、どこまで関係を続けるのかを自分で判断すること

なのだと思います。


私たち自身も、「裏切る側」になり得る

ここまで書くと、「裏切る人」を批判しているように見えるかもしれません。

しかし、本当に考えたいのは、むしろこちらです。

「自分は大丈夫だろうか」

人は、自分のことを客観的に見るのが苦手です。

自分にとっては正当な理由でも、相手から見れば身勝手な行動かもしれません。

「これくらいなら大丈夫」
「相手も分かってくれる」
「自分だって大変なのだから」

そんな小さな自己正当化が積み重なって、いつの間にか相手との信頼を壊してしまうことがあります。

だから私は、ときどき自分に問いかける必要があると思います。

「もし、相手が私と同じことをしたら、私はどう感じるだろう?」

この問いを持つだけでも、人間関係は少し変わるのではないでしょうか。


信頼とは、「裏切らないこと」だけではない

信頼とは、何か特別なことをすることではありません。

約束を守る。

相手の気持ちを考える。

間違えたら謝る。

自分の都合だけで判断しない。

そして、

「自分の行動が、相手や周囲にどんな影響を与えるのか」を想像する。

その積み重ねが信頼をつくります。

逆に言えば、どれほど能力があっても、どれほど人付き合いが上手でも、そこが欠けていれば、長い関係を築くことは難しいでしょう。

人間関係で本当に大切なのは、「嫌われないこと」ではありません。

相手を一人の人間として尊重できることなのだと思います。


最後に――関係を「切る」ことより、大切なこと

私が3人との関係を終わらせた経験は、決して自慢できるものではありません。

できれば、そんな決断をしなくても済む人間関係のほうがいい。

しかし人生には、ときとして「これ以上は関わらない」と決めなければならない場面もあります。

それは相手を罰するためではなく、自分自身や、自分の周囲にいる大切な人たちを守るためです。

一方で、私たち自身も忘れてはいけません。

「自分さえよければ」という気持ちは、誰の中にも芽生える可能性があります。

だからこそ、

相手の立場に立って考える。
自分の行動を振り返る。
間違ったときには認める。
そして、相手の痛みを想像する。

この当たり前のことを、当たり前にできる人でありたいと思います。

人間関係は、近づけば近づくほど難しくなります。

だからこそ私は、「分かり合うこと」だけを求めるのではなく、「相手を知ろうとすること」が大切なのだと思っています。

そして、それが「知り添う」ということにもつながっていくのではないでしょうか。

人を裏切らないために必要なのは、特別な才能ではありません。

ほんの少しの想像力と、ほんの少しの心の余白。

「自分の行動は、この人に何を残すのだろう」

そう考えられること。

そこに、人としての成熟があるのではないでしょうか。