
~応援する文化と支え合う文化の違い~
私たちは今、「誰かを応援すること」がとても上手な時代に生きています。
好きなアーティストや俳優、スポーツ選手、配信者、クリエイターなど、自分が「推したい」と思える存在を見つけ、その活動を応援する。「推し活」という言葉は、もはや一時的な流行ではなく、一つの文化として社会に定着しました。
ライブに足を運ぶ。グッズを購入する。SNSで情報を拡散する。動画を視聴し、コメントを書き込む。同じ推しを応援する仲間と交流し、喜びを共有する。
こうした活動は、多くの人にとって日々の活力となっています。
仕事や学校で疲れて帰ってきても、「推し」がいるから頑張れる。そんな声を耳にすることも少なくありません。
誰かを応援することは、人間にとってとても自然で素晴らしい行為です。
しかし、その一方で、私は少し気になることがあります。
「推し」はいるのに、「頼れる人」がいない。
そんな若者が、実は少なくないという現実ではないでしょうか?いや、若者に限定されないとも思っています。

応援はできる。でも「助けて」とは言えない。
SNSを見ていると、多くの人が誰かを応援しています。
「最高だった。」
「一生ついていきます。」
「元気をもらいました。」
そんな温かな言葉が毎日のように飛び交っています。
ところが、その同じ人が、自分自身の悩みや苦しみについてはほとんど語りません。
「助けて。」
その一言だけが、どうしても言えないのです。
私たちは他人を応援する方法は知っています。
しかし、自分が支えてもらう方法は、あまり教わってこなかったのではないでしょうか。
幼い頃から、「迷惑をかけてはいけません」「人に頼らず自分で頑張りなさい」と育てられることも少なくありません。
もちろん、自立することは大切です。
しかし、自立とは「誰にも頼らないこと」ではありません。
必要なときに適切に助けを求められることも、自立した大人の大切な力なのです。

フォロワーは何百人。でも相談相手はゼロ。
ある調査では、若い世代ほどSNSでのつながりは多い一方で、「本当に困ったときに相談できる人がいない」と感じる割合が少なくないことが示されています。
スマートフォンを開けば、何百人ものフォロワーがいます。
通知も届きます。
「いいね」も付きます。
コメントも返ってきます。
しかし、深夜二時に涙が止まらなくなったとき、本当に電話をかけられる相手は何人いるでしょうか。
病気になったとき。
仕事を辞めたいと思ったとき。
家族とうまくいかなくなったとき。
人生の大きな壁にぶつかったとき。
その時に思い浮かぶ人が一人もいない。
そんな孤独は、決して珍しいものではなくなっています。
つながっているように見えて、実は誰とも深くつながれていない。
これが現代社会の孤立の特徴なのかもしれません。

「応援」と「支え合い」は似ているようで違う。
応援は、とても前向きな行為です。
誰かの成功を願う。
成長を喜ぶ。
夢を後押しする。
そこには希望があります。
一方で、支え合いには少し違う側面があります。
支え合いとは、元気な時だけではありません。
弱っている時。
失敗した時。
泣いている時。
何も話せない時。
そんな姿も受け止めることです。
応援は、相手の「輝いている姿」に向けられることが多いでしょう。
しかし支え合いは、相手の「弱さ」に寄り添うことから始まります。
だからこそ、支え合いには時間が必要です。
信頼も必要です。
そして、お互いに心を開く勇気も必要になります。

「知り添う」という関係。
私たちの活動では、「知り添う」という言葉を大切にしています。
相手を知ろうとする。
病気を知ろうとする。
背景を知ろうとする。
生きてきた人生を知ろうとする。
その積み重ねが、「寄り添う」よりも少し深く、「支える」よりも少し自然な関係を生み出します。
人は、自分を理解してくれる人には心を開きます。
逆に、「分かってもらえない」と感じた瞬間に、心を閉ざしてしまいます。
だからこそ、知ることは思いやりの第一歩なのです。
「知り添う」は、相手を変えるためではありません。
相手を理解しようとする姿勢そのものなのです。

頼ることは、弱さではない。
「頼る」という言葉に、どこか後ろめたさを感じる人がいます。
迷惑をかける。
甘えている。
情けない。
そんなイメージを持ってしまうのです。
しかし、本当にそうでしょうか。
私たちは誰でも、人生のどこかで支えられています。
赤ちゃんは誰かに抱かれなければ生きられません。
子どもは親や先生に教えられて育ちます。
病気になれば医療者を頼ります。
高齢になれば介護を受けることもあります。
人生とは、支えたり、支えられたりを繰り返す営みなのです。
頼ることは、決して特別なことではありません。
人間らしく生きるための、ごく自然な営みなのです。

子どもたちに残したい文化。
これからの社会で、本当に必要なのは、「推し活」を否定することではありません。
誰かを応援する文化は、これからも大切に育てていけばよいでしょう。
しかし、それだけでは足りません。
「困ったら相談していい。」
「助けてと言っていい。」
「一緒に考えよう。」
そんな言葉が自然に交わされる社会でなければ、本当の意味で安心して暮らせる社会とは言えません。
子どもたちは、大人の姿を見ています。
大人が一人で抱え込み、無理をし、苦しみながらも「大丈夫」と言い続ける社会では、子どもたちもまた、「助けて」と言えない大人になってしまいます。
反対に、大人同士が支え合い、感謝し、素直に助けを求め合う姿を見せることができれば、それは未来への最高の教育になります。

つながりとは、「数」ではなく「深さ」。
フォロワーの数ではありません。
名刺交換の枚数でもありません。
LINEの友だちの人数でもありません。
本当のつながりとは、「この人になら話せる」と思える相手がいることです。
何も飾らず、失敗も弱さも見せられる相手がいることです。
そして、自分もまた誰かにとって、そんな存在になれることです。
その関係は、一朝一夕には生まれません。
日々の何気ない会話や、小さな気遣い、相手を知ろうとする姿勢の積み重ねの中で、少しずつ育まれていきます。
私たちが目指したい社会は、応援の声だけが響く社会ではありません。
「大丈夫?」
「何かあった?」
「一緒に考えよう。」
そんな何気ない言葉が、当たり前に交わされる社会です。
推しを応援する熱量が、人と人とを支え合う温もりへと広がっていく。
その先にこそ、本当の意味で「つながる社会」があるのではないでしょうか。
誰かを応援することは素晴らしいことです。
けれど、それと同じくらい、自分が誰かを頼れること、そして誰かから頼られることも、大切な人生の力です。
応援は、心を元気にします。
支え合いは、人の人生を支えます。
私たちはこれから、「推し」を語れる社会だけではなく、
ポッドキャストでも発信していますが、「助けて」と言える社会を育てていきたい。
その一歩は、特別な制度や大きな改革ではありません。
今日、目の前にいる一人の人に、「あなたのことを知りたい」と心を向けること。
その「知り添う」という小さな一歩が、やがて誰かの「頼れる人」になり、誰もが安心して生きられる未来へとつながっていくと、私は信じています。
