~父は、いつまでも強い存在でありたい~

今朝、ふと「親父と腕相撲」という言葉が頭に浮かびました。

何とも唐突な話ですが、私にとっては、懐かしく、そして少し特別な思い出です。

私が小学生だった頃、父は何かあると決まってこう言いました。

「よし!腕相撲しよう!」

そして、私と父の腕相撲が始まります。

もちろん、勝てたことは一度もありません。

子供心に「ああ、やっぱり親父は強いな!」と思っていました。何度やっても勝てない。でも、それが当たり前のように思えていました。

父は強い。自分よりずっと大きくて、力があって、何でもできる。少なくとも、子供だった私の目にはそう映っていたのでしょう。

今になって考えると、あの腕相撲は、父にとっても楽しい時間だったのかもしれません。

ところが、いつの頃からか、その声が聞こえなくなりました。

恐らく私が中学生になった頃でしょうか。父も商売のことで忙しかったのでしょうし、子供と腕相撲をするような余裕もなくなっていたのかもしれません。

それ以来、父と腕相撲をした記憶はありません。

父が生きていれば、今年で109歳になります。

もちろん、今となっては腕相撲どころではありませんが、私の中には、あの頃の「強い親父」という印象が、今もそのまま残っています。

不思議なものですね。

そして、時代は変わり、今度は私が父親になりました。

子供は男ばかり三人。

私も、小学生だった息子たちに、父と同じように声をかけていました。

「よし!腕相撲しよう!」

やることは、まったく同じです。

息子たちも、父親に勝とうと必死だったのでしょう。こちらも負けるわけにはいきません。

そして、現在。

息子たちは三人とも30歳代後半から40歳代前半になりました。もう立派な大人です。

それでも、今でも時々、腕相撲をすることがあります。

今のところ、私は一度も負けていません。

しかし、いつか負ける日が来るのでしょうね。

むしろ、そろそろ覚悟しておいた方がよいのかもしれません(笑)。

実は、私が筋トレを続けている理由の一つには、この腕相撲が関係しているのかもしれません。

健康のため、体力維持のため。それももちろんあります。

でも、心のどこかに「まだまだ親父は強いぞ!」という気持ちがあるような気がします。

我ながら、何とも子供っぽい話です。

考えてみれば、男親というのは、少し変なところがあります。

子供が小さい頃は、何でもできる強い父親でありたいと思う。子供が成長して大人になっても、どこかで自分の方が強いと思っていたい。

もちろん、力だけが父親の価値ではありません。子供たちにとって、父親が強くなければならない理由など、本当はないのでしょう。

それでも、男親には、なかなか捨てられない小さなプライドがあるようです。

「父親は強くなければ!」

そんな思いが、腕相撲という何とも単純な行為の中に、今も残っているのかもしれません。

そして、もう一つ思うことがあります。

私が父に勝てなかった腕相撲の記憶は、今でも鮮明に残っています。

父は、私に強さを教えようとしたわけではないでしょう。ましてや、親子の絆を深めようなどと考えていたわけでもないと思います。

ただ、子供に向かって「よし!腕相撲しよう!」と言っていただけです。

けれども、その何気ない時間が、何十年も経った今、私の中に残っています。

そして私は、同じ言葉を自分の息子たちに使っていました。

意識して受け継いだわけではありません。気がつけば、父と同じことをしていたのです。

親から子へ。

言葉や教えだけではなく、何気ない習慣や、ちょっとした遊び、何でもない日常の一場面が、こうして受け継がれていくこともあるのでしょう。

父が私に残してくれたものは、腕相撲の勝敗ではありませんでした。

「強い親父」という記憶と、今もこうして思い出せる、あの何気ない時間だったのだと思います。

さて、これから先、息子たちとの腕相撲はどうなるのでしょう。

いつか負ける日が来たら、悔しがるのか、それとも嬉しいのか。

たぶん、その時になってみないと分かりません。

ただ、負けたとしても、きっと私は言うのでしょう。

「もう一回やろう!」

そして、心の中ではこう思うのかもしれません。

「親父も、こんな気持ちだったのかな……」

父親というのは、いくつになっても、どこか子供のままなのかもしれませんね。

今朝は、そんな少し懐かしく、少し照れくさい、父親としての自分の話でした。

よし!腕相撲しよう!

この言葉は、私にとって、父から受け継いだ小さな宝物なのかもしれません。