
~年上の人ではなく、「少し先を歩いてくれた人」という存在~
最近、ふと考えることがあります。
「自分には、先輩と呼べる人がいないな」と。
もちろん、年齢的に自分より上の人がいなかったわけではありません。
中学生の頃は野球部にいました。しかし、先輩と衝突して退部しました。その後は地元の地区の野球部に所属し、そこでは年上の人たちもいましたが、なぜか自分が少し特別扱いされるような立場になっていました。
高校時代は、特に熱中するものもありませんでした。好きだったフォークソングに関しては、ラジオ番組のオーディションを受けたりもしましたが、そこにも「この人についていきたい」と思える先輩はいませんでした。
大学時代は、いわゆる「苦学生」。
生活費、学費、アルバイト。
毎日をどうやって乗り切るかで精一杯で、先輩から何かを学ぶという余裕もありませんでした。
社会人になってからも同じです。
最初に勤めた建築のゼネコンでは現場監督をしていましたが、そこはかなり封建的な世界でした。
そこにいたのは「先輩」というより、絶対的な権限を持った上司です。
その後、職場を変えてからは、自分がリーダー的な立場になり、上司と衝突することもありましたが、自分の考えを主張し、結果的に自分のやり方を通してきました。
そして、その後は起業。
気がつけば、ずっと「自分が上にいる側」でした。(すみません、、自慢話のようですが、決してそうではなく事実でした。)
そこで、最近になって疑問に思うのです。
「そもそも、先輩って何なのだろう?」人生も突き当りが見えだすとそんな事を考えてしまいます。

「年上=先輩」ではない
考えてみれば、先輩という言葉は不思議です。
年齢が上だから先輩なのか。
経験年数が長いから先輩なのか。
会社に先に入ったから先輩なのか。
もちろん、一般的にはそういう意味で使われます。
しかし、それだけでは少し違うような気がします。
私が思う「先輩」とは、
自分より少し先を歩いていて、その人の姿や考え方から何かを学べる人。
なのではないでしょうか。
必ずしも、自分より年上である必要はありません。
自分より若くても、「この人から学びたい」と思える人はいます。
反対に、年齢も経験も上なのに、「この人を先輩とは呼びたくない」と感じる人もいるでしょう。
つまり先輩とは、肩書きや年齢によって決まるものではなく、自分との関係の中で生まれる存在なのかもしれません。

「上司」と「先輩」は違う
私自身、社会人になってから「上司」はたくさんいました。
しかし、「先輩」は少なかった。
この違いは何なのでしょう。
上司には、組織上の権限があります。
仕事を指示し、評価し、場合によっては叱ることもできます。
一方、先輩には必ずしも権限がありません。
むしろ、
「私はこういう失敗をしたよ」
「こんなときは、こう考えたらいいかもしれない」
「自分はこうやって乗り越えた」
と、自分の経験を差し出してくれる存在です。
命令するのではなく、背中を見せる。
これが先輩の大きな特徴なのかもしれません。

先輩とは「教えてくれる人」だけではない
さらに考えてみると、先輩は何でも教えてくれる人である必要もないのでしょう。
むしろ、
「あの人のようにはなりたくない」
と思わせてくれる人も、ある意味では先輩です。
失敗している姿を見て、
「自分は同じことをしないようにしよう」
と思わせてくれる。
人間関係で悩んでいる姿を見て、
「人との接し方をもっと大切にしよう」
と思わせてくれる。
つまり、先輩から学ぶものは、成功だけではありません。
失敗からも学ぶことができます。
そう考えると、人生の中には意外と多くの「先輩」がいたのかもしれません。
ただ、そのときには自分が若く、忙しく、余裕がなくて、それを「先輩」と認識していなかっただけなのかもしれません。

先輩との付き合い方は難しい
では、先輩ができたら、どう付き合えばいいのでしょう。
ここも簡単ではありません。
先輩だからといって、何でも言うことを聞く必要はありません。
尊敬することと、従うことは違います。
経験を聞く。
考え方を聞く。
その人の生き方を見る。
そのうえで、自分に取り入れるものと、取り入れないものを自分で判断する。
私は、それでいいのだと思います。
むしろ、本当の意味で先輩を尊敬するとは、その人の言うことを全部真似することではなく、その人から学んだことを自分の人生に生かすことではないでしょうか。

そして、自分もいつか「先輩」になる
もう一つ、大切なことがあります。
先輩がいなかった人は、もしかすると、自分が先輩になることに慣れている人なのかもしれません。
自分で考え、自分で決め、自分で失敗し、自分で責任を取る。
そんな人生を歩いてきた人は、知らないうちに後輩から見れば「先輩」になっています。
だからこそ、これからは少し意識して、
「自分は誰かにとっての先輩になれているだろうか」
と考えてみるのも面白いと思います。
何かを教え込む必要はありません。
自分の失敗を話す。
自分が迷った経験を話す。
うまくいかなかったことも隠さない。
そして、最後は相手自身に考えてもらう。
それだけでも十分なのかもしれません。

「先輩がいなかった人生」も悪くない
振り返ってみれば、私は「先輩がいない人生」を歩いてきたのかもしれません。
しかし、それが悪かったとは思っていません。
自分で考える力を身につけることができました。
自分で決めることにも慣れました。
失敗したときも、人のせいにせず、自分で何とかするしかありませんでした。
ただ、今になって思うのです。
もし人生のどこかに、
「この人の背中を見てみたい」
と思える先輩がいたら、また違った人生になっていたのかもしれない、と。
そして、今からでも遅くないのだと思います。

年齢に関係なく、「この人から学びたい」と思える人に出会うことはできます。
それは、人生の後半になって初めて出会う「先輩」なのかもしれません。
先輩とは、上から教えてくれる人ではない。
先に歩いてくれて、
「こんな道もあるよ」
と教えてくれる人。
そして、いつか自分も誰かに、
「こんな道もあるよ」
と言える人になる。
そう考えると、「先輩」という存在は、単なる年齢や上下関係ではなく、人から人へ経験を手渡していくための、大切な関係性なのかもしれません。

