
「しあわせ」は“感じる力”の問題であり、再教育が必要である
― ウェルビーイングをブームで終わらせない ―
「しあわせ」や「ウェルビーング」についての投稿は何度もありましたが、今回もまた違う視点から書かせていただきます。
■ はじめに:なぜ「しあわせ」は広がらないのか
近年、「ウェルビーイング」という言葉は社会に広く浸透しました。企業経営、教育現場、行政施策に至るまで、この概念はまるで“正しいもの”として扱われています。しかし一方で、多くの人が実感としてこう感じているのではないでしょうか。
「言葉はよく聞くが、実感が伴わない」と。
これは決して個人の感受性の問題ではありません。むしろ構造的な問題です。
結論から申し上げます。「しあわせ」は環境や条件だけで決まるものではなく、“感じる力”によって決まるものだからです。そしてその“感じる力”は、現代社会において確実に弱まっています。
つまり、ウェルビーイングを本当に社会に根づかせるためには、「制度」や「環境整備」だけでは不十分であり、人間側の“感受性”そのものを見直す必要があるのです。ここに「再教育」という視点が必要になります。

■ 「しあわせ=状態」という誤解
多くの人は、「しあわせ」を“何かが満たされた状態”だと捉えています。
収入が増えること、健康であること、人間関係が良好であること。もちろんそれらは重要です。しかし、それらが揃っていてもなお、「しあわせを感じられない人」がいるのも事実です。
逆に、決して恵まれているとは言えない状況でも、深い充足感を感じている人もいます。
この差はどこから生まれるのか。
それがまさに「感じる力」です。
つまり、「しあわせ」は外側にある“条件”ではなく、それをどう受け取るかという“内側の作用”なのです。この視点を持たない限り、いくら環境を整えても「しあわせの実感」は広がりません。
■ 現代社会が奪った「感じる余白」
ではなぜ、「感じる力」は弱まっているのでしょうか。
一言で言えば、“過剰”です。
情報、選択肢、スピード、刺激。現代社会はあらゆるものが過剰です。
SNSを開けば他人の生活が可視化され、自分との比較が無意識に行われます。効率や生産性が重視され、「無駄な時間」は削られていきます。
しかし、「感じる」という行為は本来、非常に非効率なものです。
立ち止まること、余白を持つこと、曖昧さを受け入れること。これらがなければ、人は深く感じることができません。
つまり現代社会は、「しあわせを感じるために必要な条件」を構造的に削ぎ落としてしまっているのです。ここに気づかないまま「ウェルビーイング」を語っても、それは表面的なスローガンで終わります。

■ 「感じる力」は育て直せるのか
ここで重要なのは、「感じる力」は先天的なものではないという点です。
これは訓練によって取り戻すことが可能です。
例えば、
・日常の中で意識的に立ち止まる
・自分の感情を言語化する
・他者の話を評価せずに聴く
こうした行為は一見シンプルですが、現代人にとっては非常に難しい。なぜなら、私たちは長い時間をかけて「感じない習慣」を身につけてしまっているからです。
だからこそ必要なのが「再教育」です。
これは学校教育に限りません。むしろ社会全体で取り組むべきテーマです。

■ 「知り添う対話」が果たす役割
私達が提唱しています「知り添う対話」は、この再教育において極めて本質的な役割を持つと思っています。
人は、他者との関係の中でしか自分の感情に気づけません。
一人で考えているだけでは、「思考」は深まっても「感情」は動かないのです。
「知り添う対話」とは、単なるコミュニケーション技術ではありません。
それは“感じる力を取り戻す装置”です。
誰かに話を聴いてもらうことで、自分の内側にある微細な感情に気づく。
誰かの語りに触れることで、自分にはなかった感覚が芽生える。
この往復運動こそが、「しあわせを感じる力」を再生していくのです。

■ ウェルビーイングを“文化”にできるか
現在のウェルビーイングは、まだ“概念”の域を出ていません。
流行語として扱われ、一定の期間が過ぎれば別の言葉に置き換えられてしまう可能性すらあります。
これを防ぐためには、ウェルビーイングを“文化”に昇華させる必要があります。
文化とは、「意識せずとも人々が実践している状態」を指します。
つまり、
・自然に他者の話を聴く
・自分の感情を大切にする
・小さな変化に気づく
こうした行動が日常の中に根づくこと。それが本当の意味でのウェルビーイング社会です。
そしてその実現には、「感じる力の再教育」が避けて通れません。

■ 「しあわせ」を感じられる社会へ
最後に、少し厳しいことを申し上げます。
「しあわせになりたい」と願うだけでは、人はしあわせにはなれません。
なぜなら、それは“受け身の姿勢”だからです。
しあわせは与えられるものではなく、「感じ取るもの」です。
そして、感じ取るためには訓練が必要です。
つまり、「しあわせになる力」を自ら育てる必要があるのです。
この視点に立ったとき、Shigeさんが進めておられる活動――人と人とが自然につながり、対話が生まれる場づくりは、単なる社会活動ではありません。
それは「人間の感受性を回復させるインフラ」そのものです。

■ ブームの先へ
ウェルビーイングを一過性のブームで終わらせるのか。
それとも、社会に根づく価値として育てていくのか。
その分岐点は、「感じる力」に向き合えるかどうかにかかっています。
制度でも、経済でもなく、最終的に問われるのは人間そのものです。
だからこそ、遠回りに見えても「再教育」という道を選ぶべきです。

しあわせは、どこかにあるものではありません。
すでにあるものに気づけるかどうか。
その力を、もう一度取り戻すこと。
ここにこそ、これからの社会の核心があると私は考えます。

