
――まだ形のない可能性に手を伸ばすために
私たちは何かを始めるとき、つい「意味があるか」「成果につながるか」「失敗しないか」と考えてしまいます。慎重さは大切です。しかしその一方で、考えすぎることで、最初の一歩が踏み出せなくなる場面も少なくありません。
そんなとき、私は「端緒(たんしょ)」という言葉を思い出します。
端緒とは、物事の始まり、糸口、きっかけを意味する言葉です。ただし、単なる偶然や思いつきとは少し違います。後になって振り返ったときに、「確かに、あれが始まりだった」と意味づけられる起点。それが端緒です。

きっかけは、あとから意味を持つ
興味深いのは、多くの端緒が、始まった瞬間にはその価値がはっきり見えないという点です。
むしろ、「よく分からない」「説明できない」「根拠はない」状態で始まることの方が多いのではないでしょうか。
それでもなぜか、「これは何かにつながる気がする」「ここで立ち止まらず、少し進んでみたい」。そんな感覚に背中を押されて動いた経験は、誰にでも一度はあるはずです。
重要なのは、その感覚が正しいかどうかではありません。
その感覚を信じて行動する姿勢そのものが、後に意味を持つのです。

「今は分からない」を引き受ける勇気
現代社会では、分かりやすさや即効性が求められます。
「何の役に立つのか」「どんな成果が出るのか」「いつ回収できるのか」。こうした問いに答えられないものは、価値がないかのように扱われがちです。
しかし、人の人生や思考、関係性は、そんなに単純ではありません。
本当に大切なものほど、最初から言語化できず、数値化もできず、計画通りには進まないものです。
だからこそ、「今は具体的に良く分からないが、きっと何かが拡がる」という感覚を、未熟さや曖昧さとして切り捨ててしまうのは、あまりにも惜しいことだと思います。
それは楽観でも、無責任でもありません。
世界や人、自分自身の可能性を過小評価しない態度なのです。

端緒を意識するという姿勢
端緒を意識して行動するというのは、「必ず成功すること」を狙うことではありません。
「これは完成形ではない」「まだ入口に立っただけだ」と分かったうえで、それでも一歩を出す姿勢です。
この姿勢を持っていると、経験の受け取り方が変わります。
うまくいかなかった出来事も、「失敗」で終わらず、「次につながる材料」として手元に残ります。人との何気ない会話、小さな違和感、引っかかり――それらが、後になって別の場所で意味を持ち始めるのです。
結果として、「あのときのあれが端緒だった」と振り返る瞬間が訪れます。
それは偶然ではありません。端緒になりうる行動を選び続けた人にだけ起こる、必然です。

端緒は、育てなければ消えていく
ただし、端緒は意識しただけで自動的に育つものではありません。
放っておけば、忙しさや合理性の中で、簡単に忘れ去られてしまいます。
端緒を端緒として生かすためには、問い続けること、関わり続けること、時には方向を修正することが必要です。
「これは何だったのか」「何が引っかかっているのか」「別の形はないのか」。そうした問いを持ち続けることで、端緒は少しずつ輪郭を持ち始めます。
この過程は、効率的ではありませんし、遠回りに見えることもあります。しかし、その遠回りこそが、他者や社会とつながる余白を生み出します。

余白が、人をつなぐ
端緒を大切にする人は、完成を急ぎません。
分からなさや曖昧さを抱えたまま、他者と向き合います。その姿勢は、不思議と人を呼び寄せます。なぜなら、多くの人が同じように「まだ言葉にならない何か」を抱えて生きているからです。
端緒とは、個人の内側にある小さな芽であると同時に、他者が入り込むための入口でもあります。
一人では形にならなかったものが、対話や共有を通じて、少しずつ社会的な意味を帯びていく。そうしたプロセスの起点に、端緒があります。

おわりに
もし今、何かを始めたいけれど、理由がうまく説明できない、確信が持てない、そんな状態にいる方がいたら、ぜひ「端緒」という考え方を思い出してみてください。
すべてが見えてから動く必要はありません。
「これは何かにつながるかもしれない」と感じる自分を、信じてみる価値はあります。
端緒を意識して生きることは、不確実な時代を生き抜くための、一つの知恵です。
そして多くの場合、後から振り返った人生の節目は、そうした静かな一歩から始まっています。

今はまだ名前のない行動が、いつか誰かにとっての希望や道しるべになるかもしれません。
その可能性を閉じない姿勢こそが、これからの社会に必要とされているのではないでしょうか。
