
自己憐憫(じこれんびん)という言葉、ご存じでしょうか?聞きなれない言葉ですが身近な想いを表す言葉なんですね。
先日、ある方とお話をしていて解釈の変化(再評価)がされつつあると聞きました。調べて考えてみますと、私達がこれまで取り上げてきたり、議論をしてきた内容にオーバーラップしていることに気が付きました。書かせていただきます。

1. まず整理:自己憐憫とは何か(従来の評価)
自己憐憫(self-pity)とは、
「なぜ自分だけがこんな目に遭うのか」
「自分は被害者だ」
という感情や思考に強く囚われている状態を指します。
長らく心理学や倫理の世界では、自己憐憫は以下のように否定的に評価されてきたようです。
- 問題解決を妨げる
- 被害者意識を固定化する
- 他者や社会への不信を強める
- 成長を止める「甘え」や「逃避」
そのため、
「自己憐憫に陥らず、前向きに考えよ」
という指導が一般的でした。

2. 近年の再評価:自己憐憫は「変革の入口」になり得る
しかし近年、特に
- トラウマ研究
- ナラティヴ心理学
- 自己コンパッション研究
- 実存心理学
などの分野で、自己憐憫の捉え直しが進んでいると聞きます。
ポイントはこれです
👉 自己憐憫そのものが問題なのではなく、「そこに留まり続けること」が問題
新しい見解では
自己憐憫は、
自分がどれほど傷ついてきたかを、初めて自分自身が認めるプロセス
として位置づけられます。

3. 自己変革へとつながる「健全なプロセス」
最近示されているモデルを、段階的に説明しますと
① 自己憐憫の発生(避けられない段階)
- 理不尽な経験
- 長期の抑圧
- 病気、障害、孤立、誤解
こうした状況では、
「つらかった」「報われなかった」
と感じるのは自然で正常な反応です。
👉 ここで無理に否定すると、感情は抑圧され、後に歪んだ形で噴き出します。
② 自己憐憫を「自覚する」
重要なのは、
「自分は今、自己憐憫の感情の中にいる」とメタ認知できること。
これは
- 愚痴を言い続ける
- 被害者として固着する
状態とは明確に異なります。

③ 自己憐憫 → 自己理解への転化
ここが決定的な転換点です。
自己憐憫の奥には、必ず
- 大切にされたかった
- 分かってほしかった
- 正当に扱われたかった
という正当な欲求があります。
それに気づくことで、
「私は、こういう価値を大事にしている人間なんだ」という自己理解が生まれます。

④ 自己コンパッション(自己否定を手放す)への移行
近年重視されるのがこの段階です。
自己憐憫が
「かわいそうな自分」で止まるのではなく、
自己コンパッション(self-compassion)
「それだけ苦しかった自分を、責めずに認める」
へと変わる。
👉 ここで初めて、
- 他者と比較しない
- 正しさで自分を縛らない
- 現実を引き受ける力
が育ちます。

⑤ 自己変革が「自然に」起こる
興味深いのは、"変わろうと決意したから変わるのではない"という点です。
- 自分を理解した
- 自分を否定しなくなった
- 被害者である必要がなくなった
結果として、
「では、これからどう生きるか」という問いが自発的に生まれます。
これが、近年言われる
👉 最終的な自己変革へつながるルートです。
4. なぜ今、この考え方が注目されているのか
現代社会では、
- 努力至上主義
- 自己責任論
- ポジティブ強要
- 「前を向け」という圧力
が強すぎました。
その結果、
- 傷ついた人が語れない
- 弱さを出すと排除される
- 表面的な前向きさだけが残る
という歪みが生まれました。
その反動として、
「まず、ちゃんと嘆いていい」
「自己憐憫は、回復の一部だ」
という理解が、学術的にも臨床的にも支持され始めているのです。

5. 我々が取り組んでいる文脈との接続点(重要)
取り組んでいるテーマ
- 医療コミュニケーション
- 難病・APD・社会的孤立
- 「わかり合えない前提」
これらすべてに、
自己憐憫を否定され続けた人たちの声
が背景にあります。
自己憐憫を
「克服すべき弱さ」ではなく「変容の入口」として扱うことは、
✔ 当事者を尊重する
✔ 語りを回復させる
✔ 社会との再接続を可能にする
非常に実践的な視点だと、私は思います。
6. まとめ(短く言うと)
- 自己憐憫は未熟さではない
- それは「傷ついた自己が発する最初の声」
- 自覚 → 理解 → 自己コンパッションを経ることで
- 結果として自己変革が起こる
書いてしまえばこうなりまして、とても学問チックなプロセスですが、いやいや、そうではなくてとても現実的な現象と思います。子供のころから人間形成時の不遇な環境に囚われて脱することができない人達こそ、自己に目覚め、さらには変革が起こりえる可能性が大きいという事実を、私の経験を交差させて今回の帰結といたします。

