
ー医療者と患者のあいだに横たわる、見えない断絶ー
長く医療と関わってきた中で、どうしても腑に落ちない出来事がありました。
それは一人の医師との関係の中で、二度繰り返された「突然、いなくなる」という経験です。
最初の出会いは約20年前で、ある公立の大病院でした。受診を始めてから約一年、その医師は何の前触れもなく異動されました。大病院で医師が異動すること自体は珍しいことではありません。しかし、1~2か月に一度、定期的に顔を合わせていたにもかかわらず、「今度、移動になります」といった一言すらなく、ある日突然、診察室から姿を消されたのです。
それまでの主治医たちは、皆、異動前にきちんと挨拶と申しますか、その旨を伝えていただけました。私もサラリーマン時代に退職した経験はありますが、今後、この方とは会わないだろうな、、と思う方にもその旨を説明いたしました。それが普通と思っていたからです。だからこそ、この出来事は私にとって強い違和感として残りました。

それから約9年後、その大病院の道路向かいにクリニックが開業しました。偶然にも、その医師が副院長として勤務していることを知りました。過去の経験はありましたが、院長もかつての主治医だったこともあり、再び受診することにしました。結果として、その後約10年間、毎月一度の受診を続ける関係となりました。
その間、私は患者として診察を受けるだけでなく、社会貢献活動や患者団体の活動についても共有し、ビデオ収録やアドバイス、広報面での協力までいただいていました。単なる「医師と患者」という関係を超え、一定の信頼関係が築かれていたと、私は思っていました。
ところが、今年6月の定期受診後、次回7月の予約を済ませ、会計を待っているときに受付から告げられたのです。
「●●先生が、来週から休職されます」
耳を疑いました。診察中に、その話は一切なかったからです。
「また同じことを繰り返している」
そう感じずにはいられませんでした。

7月は院長の診察に切り替わりましたが、そこにはこれまでの経緯を汲み取ろうとする姿勢も、患者として向き合う誠実さも感じられませんでした。その後の受診はキャンセルし、クリニックにも私の意見を伝え、通院をやめました。
そして12月初旬。別の病院のホームページで、その医師がすでに新しい勤務先で診療していることを偶然知りました。何と!元のクリニックから車で約5分のところの中病院でした。迷いながらも予約を取り、先日、約5か月ぶりに受診しました。
私は正直、何かしらの説明や、せめて一言の謝罪があるのではないかと思っていました。しかし、診察は何事もなかったかのように始まり、普通の会話が交わされ、普通に終わりました。「突然いなくなって申し訳なかった」という言葉は、最後までありませんでした。
この一連の出来事を通して、私の中に強く残ったのは、怒り以上に「理解できなさ」でした。
これほど長く関わり、患者の人生や活動にも一定の距離で関与してきたにもかかわらず、なぜこのような対応ができるのか。なぜ「説明しない」「言葉をかけない」という選択が、2度も繰り返されるのか。恐らくですが、どのドクターはこれまで短期間で5~6か所の公立病院や民間病院に勤務されてきました。これもよくあるケースですので諸事情で仕方がないですが、、恐らくどこの病院でも同様な事をされてきたんだろうと考えてしまいます。そして、「自宅の近所のかかりつけ医に変わります。」と、最終的に伝えました。虚しさがいっぱいでした。
私はこれを「ドクターの非現実的思考」と表現しました。
それは、医師個人の人格を否定する言葉ではありません。むしろ、医療という世界の中で長く培われてきた「現実感のずれ」を指しているつもりです。

医師の多くは、極めて忙しく、過酷な環境で働いています。異動や退職、休職に際しても、本人の意思だけではどうにもならない事情があることは理解しています。しかし、それでもなお、「患者との関係は、説明なしに切れてもよい」「言わなくても理解されるはずだ」という前提が、どこかにあるのではないでしょうか。少なくとも私が歩んできたこれまでの人生において、理解しがたい現実です。
患者にとって、医師との関係は単なる業務上の接点ではありません。特に慢性疾患や長期治療の場合、医師は「身体を診る人」であると同時に、「人生のある部分を共有する存在」になります。だからこそ、突然の不在や説明の欠如は、単なる不便さではなく、信頼の断絶として深く傷を残します。
この感覚は、医療者側からは見えにくいのかもしれません。医師は「次の職場」「次の患者」に移れば、仕事は続いていきます。しかし、患者はそう簡単に切り替えられません。そこに、現実のズレが生まれます。

私は患者団体の代表として、この問題を個人の感情論で終わらせるつもりはありません。むしろ、「なぜ医療の現場では、こうしたことが繰り返されるのか」「どうすれば、少しでも人と人としての関係性を保てるのか」を問い続けたいと思っています。広い文脈で申せばコミュニケーション(力)になるんだろうと思います。
たった一言、「事情があって、しばらく診察を離れます」「これまでありがとうございました」。
それだけで、患者が受け取る現実は大きく変わります。
医療は科学であり、制度であり、同時に人と人との営みでもあります。その「人の部分」が見えなくなったとき、医療は現実から少しずつ浮いていきます。
いや、すでにその状態は進んでいるのではないでしょうか?今回の経験は、そのことを強く突きつける出来事でした。
「ドクターの非現実的思考」とは、医師が悪いという話ではありません。
現実を生きている患者の感覚が、医療の現場で置き去りにされているという、構造的な問題なのだと思っています。
長年通院してきた患者として、その対応に強い違和感と虚しさを覚えました。
