―― 孤独と過剰接続のあいだで ――

このカテゴリーの投稿は何度かおこなってきましたが、今回は"孤独"に再フォーカスしてみます。

はじめに:つながっているのに、なぜ孤独なのか

それにもかかわらず、「孤独を感じる人が増えている」と言われます。
この矛盾は、いったいどこから生まれているのでしょうか。

つながっているはずなのに、心は満たされない。
通知が鳴るたびに疲れ、返事をしないことに罪悪感を覚える。
一人になりたいと思いながら、「切ること」が怖くなる。

「つながりすぎる社会」に生きる私たちが、どうやって適切な距離を取り直すことができるのかを考えてみたいと思います。


1.「つながっている」ことと「つながっている感じ」は別物

まず整理しておきたいのは、「物理的につながっていること」と「心理的につながっている感覚」は、まったく別だという点です。

LINEで毎日やり取りをしていても、SNSで相互フォローしていても、グループチャットに常に参加していても、そこに「安心感」や「信頼感」が伴っていなければ、人は孤独を感じます。

むしろ、表面的な接触が増えるほど、「本当の自分を見せていない」「誰にも深く理解されていない」という感覚が強まることすらあります。

これは、量の問題ではありません。
「どれだけつながっているか」ではなく、「どんな質で関わっているか」が問われているのです。


2.なぜ「つながり」は疲れるのか

現代のつながりが人を疲弊させる理由の一つは、「常時接続」が前提になっていることです。

かつての電話は、出られなければ「仕方がない」ものでした。
手紙は返事に時間がかかるのが当たり前でした。

しかし今は違います。

  • 既読がついたのに返事がない
  • オンラインなのに反応しない
  • 投稿を見ているのに「いいね」をしない

こうした細かな反応一つひとつが、「評価」や「関心の指標」として扱われがちです。

その結果、私たちは無意識のうちに、「つながりを維持するための労力」を常に支払っている状態になります。

これは、対等な関係のようでいて、実はかなりの緊張を伴う関係性です。


3.「応答義務」が生む見えない圧力

SNSやメッセージアプリの怖さは、「返さなくてもよい」という選択肢が、徐々に見えなくなる点にあります。

本来、返信は義務ではありません。
しかし現実には、「返さない=冷たい」「無視された」と解釈されることが少なくありません。

この「応答義務」は、明文化されていないからこそ厄介です。

  • どこまでが許容範囲なのか分からない
  • 相手ごとに期待値が違う
  • 断る理由を説明しなければならない

結果として、多くの人が「無理をしてでもつながり続ける」選択をします。

そして疲れ切った先に、「誰とも関わりたくない」という極端な孤立が訪れることもあります。


4.「つながらない自由」は、わがままなのか

ここで浮かび上がるのが、「つながらない自由」という考え方です。

・すぐに返事をしない
・グループから距離を置く
・SNSを一時的にやめる

こうした行動は、ときに「自己中心的」「協調性がない」と見なされがちです。

しかし本当にそうでしょうか。

人にはそれぞれ、心の容量があります。
疲れているとき、考え事をしているとき、回復が必要なときがあります。

それでも常に他者に反応し続けることを求められる社会は、実はとても不寛容なのではないでしょうか。

「つながらない自由」とは、他者を拒絶することではありません。
自分の心を守るための、極めて人間的な選択です。


5.距離を取ることは、関係を壊すことではない

多くの人が距離を取れない理由は、「関係が壊れるのではないか」という恐れです。

しかし、考えてみてください。

本当に大切な関係は、少し連絡が途絶えたくらいで壊れるでしょうか。

むしろ、無理をして関わり続けた結果、不満や疲労が蓄積し、関係そのものが歪んでしまうケースの方が多いのではないでしょうか。

健全な関係とは、「近づく自由」と同時に「離れる自由」が認められている関係です。

距離を取ることは、関係を見直し、整える行為でもあります。


6.孤独を恐れすぎないという選択

「つながりすぎる社会」では、孤独は悪いものとして扱われがちです。

しかし、孤独には二種類あります。

  • 望まない孤独(排除・断絶による孤独)
  • 選び取った孤独(回復・内省のための孤独)

後者は、決して否定されるべきものではありません。

一人の時間があるからこそ、自分の感情に気づき、他者との関係を大切にできるようになる。

孤独をすべて悪者にしてしまう社会こそ、実は人を追い詰めているのかもしれません。


7.「ちょうどいい距離」は人によって違う

最後に強調したいのは、「正解の距離感」は存在しないということです。

毎日連絡を取りたい人もいれば、月に一度で十分な人もいます。

常時オンラインでいたい人もいれば、静かな時間が不可欠な人もいます。

問題は、「自分の距離感」が尊重されているかどうかです。

そして同時に、他者の距離感も尊重できているかどうかです。

つながりすぎる社会で必要なのは、「もっとつながること」ではなく、「違いを前提に、距離を調整する力」なのかもしれません。


おわりに:切るのではなく、整える

距離を取ることは、関係を切ることではありません。
つながりを拒むことでもありません。

それは、「自分と他者のあいだに、呼吸できる空間をつくること」です。

つながりすぎて息苦しくなった社会だからこそ、今あらためて、「どうつながらないか」を考える必要があります。

孤独と過剰接続のあいだで揺れながら、私たちは少しずつ、自分なりの距離を見つけていく。

その試行錯誤こそが、これからの時代のコミュニケーションの核心なのではないでしょうか。