
―― 誤解され続ける日常 ――投稿者の高校生時代からの意識しなかった「生きづらさ」を書きます。
「ちゃんと聞こえているよね?」
「さっき説明したよね?」
「うなずいていたから、わかっていると思った」
聴覚情報処理障害(APD)や、LiD(Listening Difficulties)と呼ばれる状態のある人が、日常的に向けられる言葉です。
本人にとって、これらは単なる確認ではありません。自分の困難さそのものが否定される瞬間でもあります。
APD/LiDの特徴の一つは、「音は聞こえている」という点にあります。
聴力検査では問題がなく、(大きな問題はなく)耳としては正常に機能している。
しかし、「聞こえた音」を「意味として理解する」過程に困難が生じます。
この「聞こえている」という事実が、皮肉にも当事者を最も苦しめる原因になります。

「聞こえている=理解している」という思い込み
私たちの社会では、
- 返事をした
- うなずいた
- その場に座って話を聞いていた
これらの行動がそろうと、「理解している前提」で物事が進みます。
APD/LiDの人も、返事をします。うなずきます。会話の場に、確かに「います」。
しかし、それは理解を示しているサインではない場合があるのです。
・聞き取れた単語をつなぎ合わせて、必死に意味を推測している
・内容の全体像が掴めないまま、流れに乗ろうとしている
・「わかりません」と言うことで場の空気を壊したくない
そうした努力の結果としての「返事」や「うなずき」であることも少なくありません。
ところが周囲からは、「聞いていた」「反応していた」「だから理解しているはず」と解釈されます。
この時点で、小さなズレが生まれています。

ズレは、後から必ず露呈する
会話や指示、説明が進み、後になって問題が起きます。
・言われた通りにできていない
・話の前提が食い違っている
・質問の答えが噛み合わない
すると、次に出てくる言葉は決まっています。
「どうしてわからなかったの?」「ちゃんと説明したよね?」「聞いていなかったんじゃない?」
ここで、ズレの原因は本人の態度や能力の問題として処理されてしまいます。
しかし実際には、
最初から「理解している前提」で進めてしまった構造そのものに問題があるのです。
APD/LiDの人にとって、この瞬間は二重の苦しさを伴います。
「わからなかった」こと以上に、「わかっているはずだと決めつけられる」ことが、深い孤立感を生みます。

「誤解され続ける日常」が心に残すもの
こうした経験が積み重なると、当事者の中には次のような思考が育っていきます。
・自分は要領が悪い人間なのではないか
・何度も聞き返す自分が悪いのではないか
・迷惑をかけないよう、黙っていた方がいいのではないか
その結果、
質問しない
確認しない
助けを求めない
という選択をするようになります。
これは怠慢ではありません。生き延びるための適応行動です。
しかしこの適応は、さらに誤解を深めます。
「大丈夫そうに見える」「特に困っていないように見える」と判断され、配慮の必要性は見えなくなっていきます。

「聞こえない」よりも、理解されにくい困難
視覚障害や、明確な聴覚障害の場合、周囲は「支援が必要な状態」と認識しやすい側面があります。
しかしAPD/LiDは、外から見えません。
本人も、うまく説明できないことが多いのです。
「聞こえてはいるんです」「でも、わからないんです」
この説明は、多くの人にとって直感的に理解しづらいものです。
そのため、
「気のせいでは?」「集中すれば大丈夫なのでは?」と軽く扱われがちです。
ここに、社会的な孤立の根があります。

問題は「能力」ではなく「前提」にある
重要なのは、APD/LiDの問題を「理解力が低い」「注意力が足りない」といった個人の能力に還元しないことです。
問題の本質は、「聞こえている=理解している」という前提が、あまりにも自動的に使われている社会構造にあります。
・理解したかどうかを、反応の有無だけで判断していないか
・「わからない」と言える余白を、会話の中に残しているか
・説明する側が、確認する責任を放棄していないか
これらは、APD/LiDに限らず、
高齢者、外国人、精神的に疲弊している人、緊張状態にある人など、多くの人にも共通する問いです。

「理解は確認するもの」という文化へ
「わかりましたか?」と聞くだけでは不十分です。
多くの人は、ここでも「はい」と答えてしまいます。
代わりに、「どんなふうに理解しましたか?」「一番大事な点は何だと思いますか?」といった、理解を可視化する問いが有効です。
これは、相手を試すためではありません。ズレを早い段階で見つけるための共同作業です。
理解は、相手任せにするものではなく、一緒に確認していくものなのだと思います。

おわりに ― 見えない困難に、想像力を ―
APD/LiDの人たちは、「聞こえない」と言えません。なぜなら、実際に音は聞こえているからです。
しかし、「聞こえているのに、わかっていない」という状態が、確かに存在します。

そのことを知るだけで、私たちのコミュニケーションは、少し優しく、少し丁寧になります。
誤解は、誰かの能力不足から生まれるのではありません。多くの場合、前提のズレから生まれます。
見えない困難に対して、「見えないからこそ、想像しようとする姿勢」それこそが、これからの社会に必要なコミュニケーションではないでしょうか。
