先日行った街の整形外科クリニックのドクターを含めた異常な件

ドクターのコミュニケーション能力の低下には呆れました。もうこのサイトでは数えきれないほど書いてきていますが、直近の経験を基に、またまた書かせてもらいます。「そこがおかしい街のクリニック」そんな感じです。

近年、整形外科クリニックを含め、多くの医療機関で「患者数の異常な多さ」「説明不足」「形式的な治療の押し付け」「ビジネス優先の姿勢」を感じさせる場面が増えているように思います。今回の体験は、まさに現代医療の問題点が凝縮されたような出来事であり、「なぜこんな社会になったのか」と考えるきっかけとして、とても重要だとおもいます。私の場合、かいつまんで書きますと、レントゲン診断で「頚椎症」と決められて、リハビリに通うのが治療です。の様なお言葉。まぁ、色々とやり取りもあったのですが、結局、MRI診断をこちらから依頼しまして、結果はヘルニアはなく病名が変わりました。それでも、「リハビリに来てください」いやいや、もう信用できないでしょ!そんな状態でした。とにかく忙しすぎる整形外科クリニック。問題点など考えてみたいと思います。

まず背景として、日本の医療制度は「患者が多く受診するほど収益が伸びる」という仕組みになっています。1人にじっくり時間をかけても、10人を流れ作業で診ても、診療報酬の構造が変わらない。むしろ、回転率を上げた方が儲かる仕組みです。その結果、「患者の話を丁寧に聞く」よりも「速く診断して次へ回す」方が経営的には合理的になってしまう。それがテクニックと考えているのではないでしょうか。この構造そのものが、医療の周辺で歪みを生んでいます。ですので、近年はMRIの機械を新規に設置し「売り」にしているクリニックが増えてきています。全て利益に結びつけて、手に負えなくなったら大病院を紹介する。ある意味「患者さんの囲い込み」・・・言葉が悪いですが、そうですよね。しかし、機械導入・・それで元が取れるのですからね。

特に整形外科は、リハビリの保険点数が高く、かつ継続的に来院してもらいやすいため、「リハビリに通わせたがる」という傾向は強くなりがちです。もちろん、まじめにリハビリを提供している施設も多くありますが、私が感じたように「説明もなく、とにかくリハビリへ誘導する」というやり方は、明らかに患者中心ではありません。これは医療の本来の目的から外れてしまっています。このことは整形外科だけではなく、他の診療科でも同様な事例はありました。

さらに深い問題として、医師側のコミュニケーション能力の不足も見逃せません。医師の多くは、大学・医局という閉鎖的なコミュニティの中で長く育ち、一般社会や他職種との交流が乏しいまま現場に出ます。これが「医師の孤立」ともつながります。その結果、「説明しなくても分かるだろう」「治療方針は医師が決めるものだ」という古い価値観がいまだに残り、患者側と視点がずれたまま医療が進んでしまうのです。

私が感じた「病人にさせられる」という感覚は誰もが経験のある事と思います。本来、人間は健康と不調のあいだを揺れながら生きているものであり、一時的な痛みがすぐに重病へと結びつくわけではありません。しかし現場では、「病名をつける→治療を開始する→来院を継続させる」までがテンプレート化してしまい、患者の生活背景やニーズは二の次になっています。現に今回も、何故痛みが出たかとか、生活の状況(体を使うスポーツ系趣味など)は聞かれませんでした。たとえば、私が求めていたのは「MRIで原因を明確にすること」であり、そのうえで納得できる説明を受けたかったわけですが、しかし現実には、レントゲンの段階で治療方針を勝手に決められ、私の意思は軽視されてしまいました。そのズレこそが、現代医療の大きな問題のひとつなのだと思います。ちなみに、問診票(ネット経由、送られていたのは確認)において、その旨は書いていました。(再度の、ち・な・み・にですが、医療情報収集、初診料で292点計上されていました。スマホで30分ほど正確に書いたのに、ほぼ、読んでない状態でした。)

また、社会全体を見ると、人々が「医療に頼らざるを得ない状況」に追い込まれていることも重要です。働きすぎ、ストレス、孤立、体の不調を抱えながらも休めない生活……こうした環境では、小さな不調でもすぐに医療に流れ込みやすく、結果として医療機関は慢性的に混雑します。医師は時間に追われ、患者は不信感を抱く。この悪循環が、全国的に進んでいるように思います。

なぜ、このような社会になってしまったのか。要因を整理すると次のようになります。

  1. 医療制度が回転率重視になっているため、丁寧な説明が経営的に評価されない構造
  2. 医師教育が社会との接点を欠き、患者視点が後回しになっている
  3. 現代人のストレス・孤立・労働環境悪化により医療依存が高まっている
  4. 高齢化・慢性疾患の増加で、医療現場そのものが飽和している
  5. 患者も医師も余裕を失い、本来のコミュニケーションが成立しづらくなっている

これらが積み重なった結果、「お金儲けに見える医療」「患者を病人に仕立てる医療」「説明責任の欠如」という現象が起きています。

しかし私は、自分の体験を単なる愚痴や批判ではなく、「社会を変えるヒント」だと捉えています。私たちは医師と患者のコミュニケーション課題を長年扱い、シンポジウム開催、人々の孤立解消やウェルビーイング向上の活動にも取り組んできました。つまり、こうした問題を「なんとかしたい」という当事者であり、実践者でもあるという事を再認識させられました。その意味で申しますと、いい経験になったのです。

今回の出来事を通じて、私たちのテーマである「つながり」「主体的な幸福」「医療コミュニケーションの再構築」は、より鮮明になったのではないでしょうか。社会は急に変わりませんが、「人がつながり、病気ではなく生活を見る医療観」「患者が主体でいられる環境」を広げる活動は、確実に意味があります。

今の医療には、説明を丁寧にするだけで患者の不安を半分にできる局面が山ほどあります。対話さえあれば、本来はもっと信頼関係が築けるはずです。これまで積み上げてきた活動は、まさにこの欠けている部分を埋める力があると思っています。だからこそ、今回感じた怒りや違和感は、そのまま貴重な材料になりますし、新たな方向性も見えてきた様にも、思います。