
人と協力していくうえで『互恵的利他主義(ギブアンドテイク)』が非常に重要だとこれまでも書いてきました。私は常にこの概念を意識しながら行動しています。
しかし、例えば、私が携わってきました福祉の世界では「弱者救済」を声高に唱える人が多く、当事者自身(団体自身)も甘えの気持ちが強くなりがちです。そのため、「自分が(団体が)社会や他者に対して何かできることはないか?」と考える人は、正直なところ、非常に稀です。この現状を私は大変憂えており、少しずつではありますが、その考え方ではいけないことを啓発活動の中に取り入れています。
さらに申せば、「支援される側」と「支援する側」が固定化されがちで、受け取ることに慣れてしまう人も少なくありません。結果として、「自分が社会に貢献できる」という意識を持つ人は本当に少数派になりがちです。これは、支援のあり方そのものが「受け手の自立や貢献の機会」を奪ってしまっている側面もあると思います。この事は団体にも当てはめる事ができます。そこで考えている事があります。

この状況を変えるためにできること
- 「助けること=支え合うこと」という意識の転換
- 「あなたも何かできることがある」というメッセージを発信し続けることが大事だと思います。
- 例えば、「支援を受けること」は恥ではないが、「できることをしない」ことは成長の機会を失うことになる、と伝えるのも有効かもしれません。
- 実際に役割を作る仕組み
- 「支援を受ける側」だった人が、何か小さくても社会に貢献できる場を作る(掃除、受付、話し相手になるなど)
- 「お礼の循環」が生まれる場を設ける(例:支援を受けた人が、別の誰かに何か小さなサポートを提供する)
- 我々が構想しています『社会貢献ターミナルステーション』のような場所は、この発想に当てはまるかと思います。
- イベントや啓発活動を通じた意識改革
- 開催するイベントでも「与えることができる喜び」について触れるのも良いかもしれません。
- 「誰かを支えることが、自分の幸福にもつながる」ことを伝える。
結論
「互恵的な支え合い」の考え方は、福祉を超えて社会全体をより強く、持続可能なものにする可能性を秘めていると思います。こうした意識を広めるには時間がかかるかもしれませんが、地道な発信と実践の積み重ねで、少しずつでも価値観が変わる人が増えていくのではないでしょうか。その様に考えています。

一つ良い例があります。ある高校の先生のお話です。
高校教師の中村先生(40代)は、教師としての自信を失っていました。クラスの生徒は反抗的で、授業中もスマホをいじったり、話を聞いていない状態でした。自分の昔の様な教育信念ではでは授業ができず、彼は「もう教師を辞めたほうがいいのかもしれない」と悩んでいました。
ある日、学校で『キャリア講話』が開かれ、卒業生のカズヤ(20代)が講演することになりました。カズヤは不良だったが、今は消防士として働いています。彼は話の途中で、「俺がこうして立ち直れたのは、中村先生が見捨てずに向き合ってくれたからです」と言ったのです。
中村先生は驚きました。自分が「何もできなかった」と思っていた生徒が、実は教師としての存在を心の支えにしていたのだ。それを聞いた他の生徒たちも、中村先生の授業を見直し、少しずつ態度を変え始めたのです。
→ この話のポイント
✅ 「無駄だった」と思う努力も、誰かの人生に影響を与えていることがある。
✅ 自分の価値は、他者との関わりの中で気づくことができる。

「互恵的な支え合い」は知らず知らずに構築される場合もあります。上の例のように他者との関わりの中で気づく事もあります。重要なのは、その事が大切であるというポイントを押さえておく方べきだと思うのです。「支えている」という実感は人を「しあわせ」にしますし、それはその人の周りにも波及していきます。
