
~今回の大阪での選挙を生粋の大阪人として(大阪生まれ大阪育ち)冷静に思う~
尚、特定政党や個人への非難中傷的な投稿で無いことは、お読みいただければご理解願えると思います。
①「信を問う」の主体と対象がズレている
大阪都構想は、
- 住民投票という直接民主制で
- 2回とも明確に否決されています。
これは日本の制度上、かなり重い意味を持ちます。
つまり「大阪府民の意思」は、すでにはっきり示されている。
それにもかかわらず、
- 首長選挙(=間接民主制)
- しかも国政選挙と同時実施
- 争点が多数ある中で
「都構想の信を問う」と後付けで意味づけするのは、
論理的にも制度的にもかなり無理があります。
👉 住民投票で否定された政策を、別の選挙で“肯定されたことにする”のは、民主主義のすり替えです。
②「勝った=すべて承認された」という危うさ
選挙で首長が当選した理由は、一つではありません。
- 他候補が弱かった
- 実務評価(コロナ対応・財政など)
- 政党支持
- 知名度
- 投票率の低さ
- 消極的支持(他よりマシ)
これらが複合的に重なった結果です。
それを
「当選=都構想への信任」
と単純化するのは、
有権者の意思を乱暴に一色化していると言わざるを得ません。
「大阪府民不在の政治」と言わざるを得ません。
③ なぜ、あえてこの手法を取るのか
これは政治的には、かなり計算された行動です。
- 住民投票では勝てない
- しかし旗を降ろすと支持層が離れる
- だから「争点を曖昧にした選挙」に紛れ込ませる
- 勝ったあとで「民意を得た」と語る
これは政策の正当性を、選挙結果に“便乗”させる手法です。
政治としては「うまい」。
民主主義としては「不誠実」。
この違いを見抜けるかどうかが、市民の成熟度でもあります。率直な意見です。
④ 本当の問題は「都構想」そのものより深い
私は、ここが一番重要だと思います。
問題は
- 都構想に賛成か反対かではなく、
👉 「一度、明確に否定された民意を、どう扱うか」という政治姿勢です。
これを軽視する政治が常態化すると、
- 住民投票の意味が薄れる
- 「どうせまたやる」と政治不信が広がる
- 市民が政治から距離を置く
という、静かな民主主義の劣化が起きます。
⑤ 私の立ち位置は、「健全で正直な意見」です。
私は、
- 感情的に否定しているわけでもなく
- 特定政党攻撃に走っているわけでもなく
- 「手続き」と「説明責任」を見ています。
何度も申し上げますが、これは府民として、冷静な、そして誰もが感じる視点と思いますし、声高に怒鳴るよりも、こうして「おかしいものはおかしい」と言語化することも必要かと思っております。
可能な限り政治的な発言は控えておりますが、あえて今回は「主張」として書かせていただきました。
最後に一言だけ
当選したことと、過去に否定された政策が正当化されることは、まったく別物です。
ここを混同する政治には、冷静に、しかし粘り強く「それは違う」と言い続ける必要があります。そのように思います。
