~『普通』じゃなくなったあとに、見つかるもの~

私たちは日常の中で、思っている以上に「普通」という言葉に支えられ、同時に縛られて生きています。
普通に学校へ行く。普通に働く。普通に結婚する。普通に歳を重ねる。
多くの場合、「普通」であることは安心をもたらします。周囲と同じであることは、余計な説明をしなくて済み、波風を立てずに暮らせるからです。

けれども、病気や障がい、家族の問題、心の不調、あるいは社会的な出来事によって、ある日突然、その「普通」から外れてしまうことがあります。
昨日まで当たり前だった生活が続けられなくなる。
周囲と同じペースで歩けなくなる。
「普通に戻りたい」という気持ちが、強く、強く湧き上がってくる。ちょっと方向が違うかもしれませんが、大昔、「普通の女の子に戻りたい!」と言ってアイドルグループを解散した女子もいてました。それもまた「普通」という言葉にささえられていた例なんでしょうね。

私自身、そしてこれまで多くの方々と関わる中で感じてきたのは、「普通じゃなくなった」という事実そのものよりも、それをどう受け止めるかが、心のしんどさを大きく左右しているということです。

「普通じゃなくなった自分は、価値が下がったのではないか」
「役に立たない存在になってしまったのではないか」
そんなふうに自分を責めてしまう人は、決して少なくありません。

しかし、ここで一度、立ち止まって考えてみたいのです。
そもそも「普通」とは、一体何なのでしょうか。

よく考えてみると、「普通」はとても曖昧なものです。時代や地域、属しているコミュニティによって簡単に変わります。
数十年前には普通だった価値観が、今ではそうでなくなっていることも珍しくありません。
つまり、「普通」とは絶対的な基準ではなく、多数派がその時々で共有している、ひとつの目安に過ぎないのです。

それにもかかわらず、私たちは「普通でなければならない」という思い込みを、いつの間にか自分の中に深く根付かせています。
そして、その枠から外れた瞬間に、自分自身を否定してしまうのです。

けれども、「普通」じゃなくなったからこそ、見えてくるものがあります。
これは決して、無理に前向きになろう、という話ではありません。
実際、その渦中にいるときは、そんな余裕は持てないのが当たり前です。

ただ、時間が少し経ち、気持ちがほんのわずか落ち着いたときに、こんな問いを自分に投げかけてみてほしいのです。
「普通であることをやめた今、自分は何を感じているだろうか」

以前は気づかなかった体のサイン。
今まで流していた人の言葉の重み。
当たり前だと思っていた日常のありがたさ。

「普通」でいるとき、私たちは意外と多くのものを見落としています。
忙しさや役割に追われ、「感じる」ことよりも「こなす」ことを優先してしまうからです。

「普通」から外れたとき、生活のスピードは否応なく落ちます。
すると、自分の内側に目を向けざるを得なくなります。
これは、ときにとても苦しい作業です。
これまで見ないようにしてきた不安や弱さ、怖さと向き合うことになるからです。

しかし同時に、そこには確かな発見があります。
「自分は、こんなことに傷ついていたのか」
「本当は、こうしてほしかったのか」
「無理をしていたのは、自分自身だったのかもしれない」

「普通」じゃなくなったことで、初めて自分の本音に触れる人も多いのです。

また、「普通」でない立場に立つと、他者の痛みが見えるようになることがあります。
これまでは気にも留めなかった言葉や態度が、誰かを深く傷つけていることに気づく。
逆に、何気ない優しさが、どれほど人を救うかを実感する。

これは、決して特別な才能ではありません。
立場が変わったことで、視点が変わっただけなのです。

私は、「普通」じゃなくなった経験は、その人から何かを奪うだけではなく、新しい感覚や価値観を静かに手渡してくれるものだと感じています。
ただし、それは無理に「意味づけ」しようとしたときには見えてきません。
「この経験には意味があるはずだ」と自分を追い込む必要はないのです。

大切なのは、「普通に戻らなければならない」という一択から、少し距離を取ることです。
戻れるなら戻ればいい。
戻れないなら、別の形を探せばいい。
どちらが正しい、という話ではありません。

「普通」じゃなくなったあとに見つかるものは、人それぞれ違います。
新しい生き方かもしれません。
人との距離感かもしれません。
あるいは、「頑張らなくてもいい自分」を許す感覚かもしれません。

ひとつだけ、はっきり言えることがあります。
それは、「普通」じゃなくなったあなたが、劣った存在になったわけでは決してない、ということです。
価値は減っていません。
ただ、これまでと違う場所に立っただけなのです。

もし今、「普通じゃなくなってしまった」と感じているなら、無理に答えを出そうとしなくて大丈夫です。
立ち止まってもいい。
迷ってもいい。
しんどいときは、「しんどい」と言っていいのです。

「普通」じゃなくなったあとに見つかるものは、急いで探すと見つかりません。
けれど、時間とともに、静かに、あなたの足元に現れてきます。

それはきっと、これまでの「普通」では出会えなかった、あなただけの大切な何かです。