ー「ストレス」という、あまりにも便利な言葉について考えてみるー

「最近ストレスが溜まっているから、旅行に行ってきます」
「ストレス発散で飲みに行った」
「ストレスのせいで、つい普段しないことをしてしまった」

私たちは日常の中で、こうした言葉を本当によく耳にします。
そして、自分自身もまた、無意識のうちに「ストレスだから仕方がない」と口にしていることがあるのではないでしょうか。

けれども、ここで一度立ち止まって考えてみたいのです。
そもそも私たちは、自分のストレスを本当に自覚できているのでしょうか。

ストレスは「感じるもの」なのか

一般的に「ストレスが溜まっている」という言い方は、「心が苦しい」「イライラする」「疲れている」といった主観的な感覚を指して使われることが多いように思います。
しかし実際には、ストレスというものは、必ずしも本人が「感じる」形で現れるとは限りません。

例えば、特に強い自覚症状がないにもかかわらず、突然円形脱毛症(いわゆる十円はげ)ができる。(投稿者もなんどもありました)
眠れないわけでもなく、落ち込んでいるつもりもないのに、体調を崩す。
こうした例は決して珍しくありません。

むしろ、本人が「別にストレスなんて感じていない」と思っているときほど、身体が先に反応することもあるのではないでしょうか。
そう考えると、「ストレスが溜まっている」という状態は、本人の自覚とは必ずしも一致しない、非常に捉えにくいものだと言えます。

ストレスを理由にしてしまう人間の弱さ

人間は弱い生き物です。
これは決して否定的な意味ではありません。弱さがあるからこそ、人は他者と支え合い、社会を作ってきました。

ただ、その弱さゆえに、自分の行動を正当化するために「ストレス」という言葉を使ってしまうこともあります。

本来ならしないはずの行動――
飲み過ぎる、衝動買いをする、ギャンブルに手を出す、浮気をする。

こうした行為の理由として、「ストレスが溜まっていたから」という説明は、あまりにも便利です。
けれども少し見方を変えると、それらは「ストレスが原因で起きた行動」というより、潜在的にはやってみたいと思っていたことが、表に出てきただけとも考えられます。

ストレスは、欲望や衝動を生み出す装置ではありません。
むしろ、普段は理性や社会性によって抑えられているものが、弱ったときに顔を出す――そのきっかけに過ぎないのではないでしょうか。

「なるべくストレスを溜めないように」という曖昧さ

医療の現場でも、日常生活のアドバイスとしても、よく聞く言葉があります。
「なるべくストレスを溜めないように生活してください」

もちろん、悪意のない、善意の言葉です。
しかし、冷静に考えると、これは非常に抽象的な指導でもあります。

ストレスには、明確な数値があるわけでも、目に見えるメーターがあるわけでもありません。
血圧のように測れるわけでも、体温のように確認できるわけでもない。

それなのに、「溜めないように」と言われても、何をもって溜まっていると判断すればいいのか、本人には分からないのです。

そのため、「結果が出た後」にだけ、ストレスという言葉が登場することも少なくありません。
体調を崩した後、問題行動が起きた後、心身に異変が出た後で、「あれはストレスが原因だったのだろう」と説明される。

この構造を見ていると、「ストレス」という言葉が、後付けの説明として使われているように感じることがあるのも、無理はないのではないでしょうか。

ストレスは個人的見解の集合体

さらにややこしいのは、ストレスが極めて個人的なものだという点です。

同じ環境、同じ出来事でも、ある人にとっては大きなストレスになり、別の人にとってはまったく気にならない。

人前で話すことが苦痛な人もいれば、喜びを感じる人もいます。
忙しさに押しつぶされる人もいれば、忙しさの中で生きがいを見出す人もいます。

つまり、ストレスには「これが正解」という定義が存在しません。
あるのは、無数の個人的見解の重なりだけです。

それにもかかわらず、私たちは「ストレス」という一つの言葉で、それらすべてをひとまとめにして語ってしまいがちです。

ストレスとどう向き合うか

では、ストレスという言葉を使うこと自体が間違っているのでしょうか。
私はそうは思いません。

問題なのは、「ストレス」を万能な原因免罪符として使ってしまうことです。
それによって、自分自身を理解する機会を失ってしまうことの方が、よほど危険なのではないでしょうか。

「ストレスが溜まっているから」ではなく、
「何が嫌だったのか」
「何を我慢していたのか」
「本当はどうしたかったのか」

そうした問いを、自分に向けること。
それは決して簡単な作業ではありませんが、ストレスと向き合うための、最初の一歩だと思います。

だから・・

ストレスは、目に見えず、測れず、定義も曖昧です。
だからこそ、私たちは安易にその言葉に頼ってしまいます。

しかし、その便利さの裏側で、本当の問題や、本当の気持ちが、言葉にされないまま置き去りになっていることもあるのではないでしょうか。

「ストレス」という言葉を否定する必要はありません。
けれども、その言葉の奥にあるものを、少しだけ丁寧に見つめ直す。
それだけで、ひょっとすると私たちの生き方も、ほんの少し変わってくるのかもしれませんよね。