年齢を重ねても新しいことを学びたくなるのか
~「中途半端」ではなく、「知的好奇心」という生き方~

「自分は、まだ成長できるだろうか」

年齢を重ねると、そんなことを考える機会が少しずつ増えてくるのではないでしょうか。

若い頃なら、仕事を覚える、資格を取る、経験を積むなど、「成長」という言葉には比較的分かりやすい形がありました。

しかし、ある程度の年齢になると、何をもって「成長」とするのかが分かりにくくなります。

私自身は、年齢に関係なく「自分が成長したい」という気持ちは持ち続けたいと思っています。

そして、昔から私は「知らないことを知る」のが好きでした。

新しいことを見つけると、「これはどういうことなのだろう?」と興味が湧きます。調べて、学んで、実際に少しやってみる。

ところが、面白いことに、私は必ずしもその道のプロになりたいわけではありません。

ある程度理解できると、「なるほど、そういうことなのか」と満足して、また別のことに興味が移っていきます。

ふと考えると、「これって、もしかすると中途半端なのではないか?」と思うこともあります。

しかし、心理学的に考えてみると、必ずしもそうではないようです。

「知りたい」は、人間にとって自然な欲求

心理学には「知的好奇心」という考え方があります。

簡単に言えば、

「知らないことを知りたい」

という気持ちです。

私たちは、分からないことに出会うと、それを避けることもできます。しかし反対に、「なぜだろう」「どうなっているのだろう」と、その謎を解きたくなることもあります。

私は、どうやらこちらのほうが強いタイプなのかもしれません。

例えば、新しい技術を知れば、その仕組みが気になる。

社会心理学を知れば、人間の行動についてもっと知りたくなる。

新しいメディアに興味を持てば、「これを使って何ができるのだろう」と考えてみる。

専門家になることが目的ではありません。

「少し分かるようになった」

そのこと自体が楽しいのです。

「専門家にならない=中途半端」なのだろうか

ここは、少し考え方を変えてみてもいいのではないかと思っています。

世の中では、「一つのことを極めること」が素晴らしいこととして語られがちです。

もちろん、それは素晴らしいことです。

一つの道を何十年も追求し、その分野の専門家になる。その経験や知識は、社会にとって大きな価値があります。

しかし、人間の学び方は、それだけではありません。

一つの分野を深く掘る人がいる一方で、さまざまな分野を横断しながら学ぶ人もいます。

私は後者なのだと思います。

「広く学び、必要なところまで深く知る」

そして、ある程度分かったら、次の未知の世界へ進んでいく。

これは「中途半端」というより、「探索型の学び方」なのかもしれません。

年齢を重ねるほど、「知ること」の意味が変わってくる

若い頃の学びは、仕事や資格、収入など、何らかの目的につながっていることが多いものです。

ところが、人生の後半になると、少し違ってきます。

「役に立つから学ぶ」だけではなく、

「面白いから学ぶ」

「知らないから知りたい」

という学びがあってもいいのではないでしょうか。

むしろ、私は年齢を重ねてからのほうが、こうした学びには大きな意味があると思っています。

なぜなら、これまで生きてきた経験があるからです。

新しい知識を得たとき、それを過去の経験と照らし合わせることができます。

「そういうことだったのか」

と、昔の出来事の意味が違って見えることもあります。

新しい知識は、単に頭の中に情報を増やすだけではありません。

過去を書き換えるような力を持つこともあるのです。

「成長したい」は、若者だけの言葉ではない

「成長」という言葉は、若い人に向けて使われることが多いように感じます。

しかし、本当にそうでしょうか。

私は、むしろ人生経験を重ねたからこそ、「まだ知らないことがある」と思えることは大切なのではないかと思います。

何でも知っていると思った瞬間、人は新しいものを見なくなります。

反対に、

「まだ知らないことがたくさんある」

と思えば、人生はまだまだ面白くなります。

これは知識の量だけの問題ではありません。

新しいものに触れることで、自分の考え方が変わる。

今まで正しいと思っていたことを、もう一度考えてみる。

「昔はこう思っていたけれど、今は少し違うかもしれない」と気づく。

そうやって自分の中の情報を更新していくことも、一つの成長なのだと思います。

「学ぶ人」は、世界を少しずつ広げていく

新しいことを学ぶと、それまで知らなかった世界が一つ増えます。

一つ増えると、それまで別々だった知識がつながることがあります。

心理学を学んだことが、人との対話を考えるきっかけになる。

社会の仕組みを学んだことが、地域活動の見方を変える。

新しい技術を知ったことが、「こんなこともできるのではないか」という発想につながる。

こうした「知識と知識のつながり」は、年齢を重ねた人だからこそ生まれるものもあります。

若い頃にはなかった経験という土台があるからです。

だから私は、これからも「知らないこと」に出会ったら、できる範囲で挑戦してみたいと思っています。

プロになる必要はありません。

人より詳しくなる必要もありません。

「面白かった」

「少し分かった」

「昨日より世界が広がった」

それだけでも十分なのです。

人生は「極める」だけが面白いのではない

考えてみれば、人生そのものも、何か一つを極めるためだけにあるわけではありません。

寄り道をしてもいい。

興味が移ってもいい。

途中でやめてもいい。

そして、また新しいことを始めてもいい。

大切なのは、「何かを始めたのだから最後まで極めなければならない」と自分を縛りすぎないことではないでしょうか。

もちろん、一つのことを極める生き方も素晴らしい。

しかし、さまざまなものに興味を持ち、それらを自分の経験の中でつなぎ合わせていく生き方もあります。

私は、後者でもいいと思っています。

「中途半端なのかもしれない」と思っていた自分の性格も、見方を変えれば、

「知的好奇心を持ち続けている」

ということなのかもしれません。

「まだ知らない」が、人生を面白くする

年齢を重ねると、「もう自分はこんな年齢だから」と、新しいことを諦めてしまうことがあります。

でも、人生に「学びの定年」はないはずです。

知らないことがある。

だから知りたい。

やったことがない。

だから少しやってみたい。

その気持ちが残っている限り、人はまだ成長できるのではないでしょうか。

私はこれからも、新しいことに興味を持ち続けたいと思っています。

そして、すべてを極めなくてもいい。

少し知って、少し試して、少し考えて、また次へ進む。

そんな学び方でもいいのだと思います。

「新しいことを学び、古い情報を書き換える。」

それを繰り返している限り、年齢に関係なく、自分の世界は少しずつ広がっていきます。

人生の面白さは、「何を極めたか」だけでは決まりません。

「いくつになっても、まだ知らないことがある」と思えること。

それこそが、人生を長く面白くしてくれる力なのかもしれません。