
正しさよりも「理解しようとする姿勢」が社会を変える
~分断を超えるための対話法~
私たちは日常の中で、知らず知らずのうちに「正しいか、間違っているか」で物事を判断しています。
政治の話題、医療の問題、教育のあり方、働き方、子育て、SNS上の意見交換に至るまで、多くの場面で人々は「自分の考えこそ正しい」と信じています。
もちろん、正しさを追求すること自体は悪いことではありません。社会にはルールや基準が必要ですし、科学や法律も一定の「正しさ」の上に成り立っています。
しかし最近、私はある危うさを感じています。
それは、「正しさ」が人と人をつなぐ道具ではなく、人と人を分断する武器になっていることです。

正しさは人を納得させても、心は動かせない
誰でも一度は経験があるのではないでしょうか。
自分が困っている時に、相手から正論を言われた経験です。
「もっと早く相談すればよかったのに」
「そんな考え方だから失敗するんだよ」
「それはあなたが悪い」
言われている内容そのものは正しいかもしれません。
しかし、その瞬間に私たちが求めているのは「正しい指摘」ではなく、「理解してもらえた」という感覚であることが少なくありません。
人は感情の生き物です。
まず気持ちを受け止めてもらい、その上で助言をもらうからこそ耳を傾けることができます。
反対に、いくら正論であっても理解されていないと感じた瞬間、人は心を閉ざしてしまいます。
現代社会では、この構図があらゆる場所で起きています。
SNSでは正論と正論がぶつかり合い、職場では立場の違いによる対立が生まれ、家庭でも世代間の価値観の違いから会話が成立しなくなる。
そこに共通しているのは、「理解しようとする姿勢」の不足ではないでしょうか。

理解することと同意することは違う
ここで誤解してはいけないことがあります。
それは、「理解する」と「賛成する」は別だということです。
例えば、自分とは全く異なる政治的意見を持つ人がいたとします。
その意見に賛成できないこともあるでしょう。
しかし、その人がなぜそう考えるようになったのかを知ろうとすることはできます。
どのような環境で育ったのか。
どのような経験をしてきたのか。
何を大切にして生きているのか。
そこに耳を傾けることは可能です。
理解しようとする姿勢とは、相手の考えを無条件に受け入れることではありません。
「あなたの考え方は私とは違う。しかし、そう考えるに至った背景を知りたい。」
その姿勢こそが対話の出発点と思うのですね。
ところが現代は、理解する前に評価する文化が強くなっています。
相手の話を最後まで聞く前に結論を出してしまう。
自分がステレオタイプ気味であることを理解できていない。
レッテルを貼る。
味方か敵かを判断する。
その結果、対話の扉は閉ざされてしまいます。

「知る」から「知り添う」へ
もう、何度も書いてきましたが、
私たちの活動の中で大切にしている考え方の一つに、「知り添う」という言葉があります。
単に情報として知るだけではなく、その人の人生や背景に寄り添いながら理解しようとする姿勢です。
例えば難病患者の話を聞く場合も同じです。
病名を知るだけならインターネットで調べれば済みます。
しかし、その病気と共にどのような人生を歩いてきたのか。
どんな不安を抱え、どんな希望を持っているのか。
そこまで理解しようとした時、初めて本当の意味で「知った」と言えるのではないでしょうか。
医療現場でも同様です。
患者の症状だけを見るのではなく、その人の人生を見る。
職場でも、結果だけを見るのではなく、その人の背景を見る。
地域活動でも、意見だけを見るのではなく、その人の物語を見る。
そこに「知り添う」という姿勢が生まれます。

人は理解された時に変わり始める
私はいつも思う事があります。
人は説得された時よりも、理解された時の方が変化しやす事なんですね。
なぜなら、防御する必要がなくなるからです。
理解されていないと感じると、人は自分を守ろうとします。
しかし、「この人は私を分かろうとしてくれている」と感じた瞬間、自然と心が開いていきます。
これは家庭でも、教育でも、医療でも、組織運営でも同じではないでしょうか。
例えば、あなたの主治医は受診時にあなたの事を理解しようと努力している姿勢が見えていますか?
あなたは、主治医の事を理解しようとしていますか?
私ごとなんですが、言葉を飾らずに書きます。今、私はどうしようもないドクターを理解しようと思い、受診を継続しています。
診察はいつも3~4分。会話はほぼ無く、「どうですかの?」の問いに「変わりなく生活できています。」と答え、
血圧を測られ、その後一か月後の予約に移り、「ではお大事に」。それで終わります。約4分。
恐らく、お歳は50歳半ば思います。クリニックの経営者でもあります。ブランクはありますが約20年前から知っています。
どう思います?と言っても、様々な意見はあるのでしょうが、私的には、理解ができないので、理解をしようとしています。
ある程度見えてきたら言葉に出して「問うて」みようと思っています。「患者を理解しようとしてるのか?」
このような状況のクリニックへ通う事自体おかしな話かもしれませんが、明らかに「おかしい」の理由を知りたいのです。
まずは、この院長に患者の意思を伝えたいという気持ちから、まず理解しようとしているのです。
相手を変える前に、相手を知ろうとする。
その順番が逆になった時、人間関係はうまくいかなくなります。

未来に必要なのは「対話力」である
これからの社会はますます多様化していきます。
価値観も働き方も生き方も多様になるでしょう。
その時に必要なのは、「誰が正しいか」を決める能力ではありません。
違いを抱えたまま共に生きる力です。
そのためには、対話する力が必要になります。
そして対話の出発点は、相手を論破することではなく、理解しようとすることです。
私たちはつい、自分の正しさを証明したくなります。

しかし、本当に社会を前進させるのは「私が正しい」という声ではなく、「あなたはなぜそう考えるのですか」という問いかもしれません。
正しさは時代によって変わります。
しかし、人を理解しようとする姿勢は時代が変わっても色あせません。
もし私たち一人ひとりが、少しだけ「正しさ」を手放し、少しだけ「理解しよう」とする時間を増やせたなら。
家庭も、職場も、地域社会も、そしてこの国も、今より少し温かい場所になるのではないでしょうか。
社会を変えるのは大きな制度改革だけではありません。
目の前の一人に対して、「まず理解しよう」とする小さな姿勢の積み重ねです。
その積み重ねこそが、分断の時代を超える最も確かな力なのだと思います。
