
~「健康ではない」と言われた日から始まる、もう一つの健康~
「あなたの病気は難病です。完治は難しいでしょう。」
この言葉を受け取った瞬間、多くの人は「健康ではない自分」というレッテルを貼られたような感覚に陥ります。私自身も、まさにそうでした。臨床的な診断という“客観的な事実”が、そのまま自分の存在全体を規定してしまうような、そんな重たい感覚です。
しかし、時間が経ち、自分の体と向き合い続ける中で、ある違和感が生まれてきました。それは、「本当に自分は健康ではないのか?」という問いです。
ここでいう健康とは、単なる検査数値や診断名だけで決まるものなのか。それとも、もっと別の軸があるのではないか。そう考えるようになりました。

主観的健康感という視点
私がたどり着いた一つの考えが、「主観的健康感」というものです。
これは、自分自身が自分の状態をどう感じているか、という極めてシンプルでありながら、本質的な問いです。身体的な状態だけでなく、精神的な安定や日々の充実感、活動への意欲なども含めて、自分の中で「自分は今、どのような状態にあるのか」を総合的に捉える感覚です。
たとえ臨床的には「健康ではない」とされる状態であっても、日々の生活の中で前向きに動けている、自分なりのペースで社会と関わっている、そうした実感があるならば、それは決して「不健康」と言い切れるものではないのではないでしょうか。
むしろ、その感覚こそが、生きる力の源になっているように思うのです。

「難病=不健康=健康ではない」という思い込み
振り返れば、かつての私は「難病=健康ではない」という考えを疑うことなく受け入れていました。これは決して特別なことではなく、多くの人が自然とそう捉えてしまうものだと思います。
医療の現場では、どうしても病気の有無や進行度が中心に語られます。それは当然のことですし、必要不可欠な視点でもあります。しかし、その枠組みだけで人の状態を捉えようとすると、「できていること」や「保たれている力」が見えにくくなってしまいます。
そして気づかぬうちに、「自分はもう以前のようには生きられない」という無意識の制限を自分自身にかけてしまうのです。
これは非常に大きな問題です。なぜなら、身体の状態以上に、可能性を狭めてしまうからです。

活動が支える健康感
一方で、私は今、さまざまな活動を継続する中で、「主観的健康感」が高まっていることを実感しています。
もちろん、体は疲れやすい。無理をすればすぐに影響が出ます。しかし、それでも活動を続けることができている。そのために、自分なりに体の状態を整え、無理のないペースを見つけ、継続する工夫を重ねています。
ここで重要なのは、「健康だから活動できる」のではなく、「活動を続けるために健康を整えている」という点です。
この順序は、多くの人が思っているものとは逆かもしれません。しかし実際には、この考え方が主観的健康感を支えているのです。

「疲れる前」に整えるという発想
私が特に大切だと感じているのが、「疲れる前に整える」という視点です。
多くの場合、人は疲れを感じてから休みます。あるいは体調を崩してから対処します。しかし、それではどうしても回復に時間がかかり、活動の継続性も損なわれてしまいます。
そこで重要になるのが、自分の状態の“前兆”に気づくことです。
少し集中力が落ちてきた、会話が億劫に感じる、なんとなく体が重い。こうした小さなサインを見逃さず、その段階で調整を行う。この積み重ねが、結果として大きな崩れを防ぎます。
これは単なる体調管理ではなく、「自分を観察する力」を高める行為でもあります。そして、この力こそが主観的健康感を支える土台になるのです。

意識から始まる健康
もう一つ重要なのは、「主観的健康感は意識から始まる」という点です。
自分の状態に無頓着であれば、どれだけ体が動いていても、どこか不安や不満を感じ続けることになります。逆に、自分の状態を丁寧に感じ取り、小さな変化に気づくことができれば、たとえ制約があっても、その中での最適な在り方を見つけることができます。
つまり、健康とは単なる状態ではなく、「自分との関係性」なのだと思います。
自分の体や心とどう向き合い、どう付き合っているか。その質が、そのまま主観的健康感として現れてくるのです。
「できていること」を見つめる
現代社会や医療の文脈では、「できていないこと」に焦点が当たりがちです。症状、制限、リスク、課題――これらは確かに重要です。しかし、それだけでは人は前に進む力を持てません。
むしろ必要なのは、「できていること」に目を向けることです。
今日はこれができた。今週も続けられた。この活動に関わることができた。そうした一つひとつの積み重ねが、自分の中の確かな手応えとなり、主観的健康感を高めていきます。
これは決して自己満足ではなく、「生きる実感」を育てる行為です。

ヘルプボイスとの接点
この「主観的健康感」という考え方は、これまで構想してきた「ヘルプボイス」とも深くつながっていると感じています。
人は、自分の不調や違和感をうまく言葉にできないことが多いものです。しかし、それを言語化し、共有できる場があればどうでしょうか。
「少し無理をするとこうなる」
「このタイミングで休むと回復が早い」
「こういう時に気持ちが落ちる」
こうした声を拾い上げ、共有することで、他者の気づきにもつながります。そしてそれは、単なる情報共有を超えて、「自分を理解する力」を社会全体で育てていくことにもなるのです。

健康の再定義へ
これからの時代、「健康」という言葉の意味は見直されていくべきだと感じています。
病気があるかないか、数値が正常かどうか、それだけで人の状態を測る時代は、すでに限界に来ているのではないでしょうか。
むしろ、
- 自分の状態を理解しているか
- 自分なりのペースを持っているか
- 社会との関わりを維持できているか
こうした視点こそが、これからの「健康」の重要な指標になるはずです。

おわりに
私は、難病と向き合う中で、「健康ではない」という言葉に縛られてきました。しかし同時に、その中で「もう一つの健康」の存在に気づくことができました。
それが、「主観的健康感」です。
これは特別な人のためのものではありません。誰もが持ちうる感覚であり、誰もが育てていくことができるものです。
そして何より、それは「生き方そのもの」に直結しています。
自分の体と心に耳を澄まし、自分なりの整え方を見つけ、できることを積み重ねていく。そのプロセスの中にこそ、本当の意味での健康があるのではないでしょうか。
この視点が、少しでも多くの人に届き、自分自身の在り方を見つめ直すきっかけになれば、これほど嬉しいことはありません。

