「まごころ」という言葉には、大変奥深い意味があると感じております。日常会話ではあまり頻繁に使われる言葉ではありませんが、日本語の中でも特に重みと温度を併せ持った、稀有な言葉ではないでしょうか。

私たちの活動を振り返ってみても、最終的に行き着くところは「まごころをお届けすること」なのではないか、そう思う場面が少なくありません。しかし同時に、「まごころ」という言葉は、とても良い言葉であるがゆえに、日常的に使うには難しさが伴う言葉でもあります。あまりに大切で、あまりに本質的で、軽々しく口にしてはいけないような感覚が、自然と働くのです。

では、「まごころ」とは一体、どのようなものなのでしょうか。

一般的には、「真実の心」「偽りのない心」「相手を思う純粋な気持ち」などと説明されることが多い言葉です。しかし、それらの説明を読んでも、どこか腑に落ちない感覚を覚える方もいらっしゃるかもしれません。それは、「まごころ」が単なる感情や意識の問題ではなく、人の在り方そのものに深く関わる概念だからだと思います。

「まごころ」は、言葉で示そうとすると、どうしても輪郭がぼやけてしまいます。むしろ、行動や態度、沈黙や間(ま)、あるいはその人の選択の積み重ねの中に、静かににじみ出てくるものです。だからこそ、「私はまごころを持っています」「まごころを込めました」と自ら語ることに、私たちはどこか照れや違和感を覚えるのではないでしょうか。

たとえば、次のような場面を想像してみてください。

体調を崩して不安な気持ちで病院を訪れたとき、医師やスタッフが忙しそうにしながらも、ほんの一瞬こちらの目を見て「大丈夫ですよ」と声をかけてくれた。その一言によって、症状そのものは変わらなくても、心が少し軽くなった、という経験はないでしょうか。

あるいは、困っているときに、特別な言葉や派手な助けではなく、「一緒に考えましょうか」と静かに寄り添ってくれた人の存在が、後になって強く心に残ることもあります。

これらの場面で感じられるものこそが、「まごころ」に近いものだと思います。そこには、自己主張や見返りを求める姿勢はありません。ただ、相手の立場に思いを巡らせ、「今、この人にとって何が必要なのか」を自然に考えた結果としての振る舞いがあるだけです。

つまり「まごころ」とは、相手の存在を一人の人間として尊重し、効率や正しさよりも、人としての納得や安心を優先しようとする姿勢だと言えるでしょう。

現代社会は、非常に合理的で、無機質になりがちな構造を持っています。スピード、成果、数値、正解が重視される一方で、「気持ち」や「間(ま)」は後回しにされやすくなっています。その中で、私たちは知らず知らずのうちに、人を「対象」や「処理すべき案件」として扱ってしまう危険性を抱えています。

だからこそ、今あらためて「まごころ」という言葉に立ち返る意味があるのではないでしょうか。

「まごころ」が感じられた相手に対して、本来どのような対応姿勢が望ましいのかを考えてみると、そこにはいくつかの大切なポイントが浮かび上がってきます。

一つ目は、「急がない」ことです。

相手の話を聞くとき、結論を急がず、途中で遮らず、沈黙も含めて受け止める姿勢は、それだけで相手に安心感を与えます。効率的ではないかもしれませんが、「あなたの存在を軽く扱っていません」という無言のメッセージになります。

二つ目は、「評価しない」ことです。

良い・悪い、正しい・間違っている、とすぐに判断せず、「そう感じているのですね」と一度そのまま受け取る。この姿勢は、相手が心を開く土台になります。まごころは、評価の上には育ちません。

三つ目は、「完璧を目指さない」ことです。

何か特別なことを言おうとしなくても構いません。不器用でも、言葉が拙くても、相手を思う気持ちがにじんでいれば、それは十分に伝わります。むしろ、整いすぎた言葉よりも、少し揺らぎのある言葉のほうが、人の心に届くことも多いものです。

こうした姿勢は、決して特別な能力を必要とするものではありません。誰もが日常の中で実践できる、ごく小さな心がけです。しかし、その小さな積み重ねが、結果として「まごころが感じられる人」「まごころが宿る場」を形づくっていきます。

重要なのは、「まごころを伝えよう」と力むことではありません。むしろ、「相手を雑に扱わない」「相手の背景に思いを巡らせる」「分からないことを分かったふりで済ませない」といった、極めて基本的な姿勢を守り続けることです。

そうした在り方の先に、結果として「あの人には、まごころを感じた」「あの場は、温度があった」と、受け手の側が感じ取るものが生まれるのだと思います。

「まごころ」は、掲げるスローガンではなく、あとから名づけられる評価のようなものです。だからこそ、使いづらく、しかし決して失ってはいけない言葉なのではないでしょうか。

私たちの活動が、もし誰かの記憶の中に残るとしたら、それは立派な成果や華やかな実績ではなく、「なぜか安心した」「説明できないけれど、温かかった」という感覚かもしれません。その正体こそが、「まごころ」なのだと、私は思います。

言葉にすることは難しくても、忘れずに心に置き続けたい。そんな静かな指針として、「まごころ」という言葉を、これからも大切にしていきたいものです。