― 善意・正論・啓発がコミュニケーションを壊す瞬間 ―

私たちは日常の中で、無意識のうちに「正しいこと」を言おうとしています。
社会的に正しい。倫理的に正しい。医学的に正しい。統計的に正しい。
そのどれもが、決して間違いではありません。

にもかかわらず、「正しいことを言ったはずなのに、なぜか相手が離れていった」「善意で伝えたつもりが、関係がぎくしゃくしてしまった」という経験を、多くの人が持っているのではないでしょうか。

人と人のコミュニケーションを考えていくと、「正しさ」そのものが悪いのではなく、正しさが人を遠ざけてしまう瞬間があると思うのです。ではそこには何が起きているのでしょうか?少し立ち止まって考えてみたいと思います。


正論は、なぜ人を黙らせるのか

「それはあなたのためを思って言っているんです」
「事実として、こうなんですよ」
「普通に考えたら、こうするべきでしょう」

こうした言葉は、一見すると冷静で理性的です。しかし、言われた側はどう感じるでしょうか。

多くの場合、そこにあるのは「理解された」という感覚ではなく、
「裁かれた」「否定された」「逃げ場を失った」という感覚です。

正論には、反論の余地がありません
だからこそ、相手は言葉を失い、沈黙し、やがて距離を取ります。
これは、相手が未熟だからではなく、人としてごく自然な反応です。

人は「間違いを指摘される」よりも先に、「存在を受け止めてもらえる」ことを求めているからです。


善意が刃になる瞬間

善意は本来、あたたかいものです。
しかし、善意はときに刃にもなります。

たとえば、体調を崩している人に対して
「もっと早く病院に行くべきでしたね」
「生活習慣を見直さないとダメですよ」
と声をかけたとします。

言っている内容は正しいかもしれません。
ですが、相手が欲しかったのは「分析」ではなく、「まずは大変でしたね」という一言だった可能性もあります。

善意が刃になるのは、相手の“今の心の位置”を通り越してしまったときです。

正しさは前を向いていますが、心は必ずしも同じ方向を向いているとは限りません。


啓発が拒絶される理由

社会には「啓発」が必要なテーマが数多くあります。
健康、医療、福祉、多様性、環境、ハラスメント……。
どれも大切な課題です。

しかし、啓発が進めば進むほど、「疲れる」「息苦しい」「もう聞きたくない」という声も増えていきます。

なぜでしょうか。

それは、啓発がいつの間にか「わかっていない人を正す行為」にすり替わってしまう瞬間があるからです。

「知らない=悪い」「できていない=遅れている」という空気が漂ったとき、人は防御的になると思うのです。

人は、学びたいから耳を閉じるのではありません。
裁かれる予感がしたときに、耳を閉じるのです。


「正しい側」に立つという快感

ここで少し、自分自身の内側にも目を向けてみましょう。

正しいことを言っているとき、私たちはどこか安心しています。
「自分は間違っていない」「社会的に正しい側に立っている」という感覚は、心地よいものです。

しかしその安心感が、無意識のうちに「相手より一段上に立つ」という構図を生んでしまうことがあります。

その瞬間、コミュニケーションは対話ではなく、指導説得に変わります。

相手は「話を聞いてもらっている人」ではなく、「正される対象」になってしまうのです。


人は「正されたい」とは思っていない

多くの場合、人は自分の問題点を、すでにうっすらと分かっています。
それでも動けない理由があり、迷いがあり、事情があります。

そんなときに必要なのは、正解を示されることではなく、「それでも、ここにいていい」という感覚です。

人は、安心して初めて変われます。
追い詰められて変わるのは、表面的な行動だけです。

コミュニケーションが壊れる瞬間とは、相手が変わるための“余白”を奪ってしまったときなのかもしれません。


正しさを手放す、という選択

ここで誤解してほしくないのは、「正しさは不要だ」と言いたいわけではありません。
社会にはルールが必要ですし、医療や安全の分野では正確性が不可欠です。

ただ、人と人の間では、「正しいかどうか」よりも「この人と、どうつながりたいのか」が問われる場面があります。

正しさを一度脇に置く。
結論を急がない。
相手の言葉の奥にある感情を想像する。

それは弱さではなく、関係を大切にしようとする強さです。


わかり合えなくても、離れないために

すべてを理解し合うことはできません。
価値観も、立場も、経験も違います。

それでも、「正しさ」で線を引くのではなく、「関係」で踏みとどまることはできます。

正論を言う前に、一呼吸置く。
善意を差し出す前に、相手の足元を見る。
啓発する前に、自分も揺らいでいる存在だと認める。

その小さな姿勢の違いが、人と人との距離を、大きく変えていくのだと思います。


正しさよりも、余白を

正しさは、人を導くことがあります。
しかし、余白は、人をつなぎとめます。

今、私たちの社会には、「正しい声」はあふれています。
だからこそ、これから必要なのは正しさを振りかざさない勇気なのかもしれません。

この投稿が「正しいことを言う前に、少し立ち止まる」そのきっかけになれば幸いです。