
ーヘルスリテラシー向上は、なぜ今「急務」なのかー
健康を「与えられるもの」から「選び取る力」へ
近年、「ヘルスリテラシー」という言葉を目にする機会が増えてきました。しかし、その意味を正確に理解し、日常生活や社会活動の中で意識的に活用できている人は、決して多くないのではないでしょうか。
私は、我が国においてヘルスリテラシー向上のための啓発活動は、もはや「あれば良い」ものではなく、「急務」であると強く感じています。
聖路加国際大学の中山和弘教授が著書『これからのヘルスリテラシー 健康を決める力』(講談社、2022)の中で指摘されているように、日本は先進国でありながら、国別のヘルスリテラシー平均点が決して高くありません。この事実は、多くの人にとって意外かもしれませんが、日常の医療現場や健康に関する相談に触れていると、むしろ納得できる側面もあります。また、これまでの当団体の一連の発信部分にも関係しているテーマでもあります。

では、そもそもヘルスリテラシーとは何でしょうか。
一般的には、「健康情報を入手し、理解し、評価し、活用する能力」と定義されます。もう少し平たく言えば、「健康に関する情報を鵜呑みにせず、自分にとって何が適切かを判断し、行動に移す力」と言えるでしょう。
重要なのは、ヘルスリテラシーが単なる医学知識の多寡を指す言葉ではない、という点です。専門用語をどれだけ知っているか、病名をいくつ覚えているかではありません。
たとえば、医師から説明を受けた際に、「よく分からないまま頷いて終わってしまう」のか、「分からない点を質問し、自分なりに理解しようとする」のか。この違いも、立派なヘルスリテラシーの差なのです。

我が国では長らく、「医療は専門家に任せるもの」「医師の言うことに従うのが正しい」という価値観が根強く存在してきました。その結果、患者側が主体的に情報を整理し、選択する文化が育ちにくかったとも言えます。
しかし、医療が高度化・複雑化し、情報量が爆発的に増えた現代において、その姿勢はむしろリスクを持つこととなります。
インターネットやSNSを開けば、健康情報は溢れ返っています。中には科学的根拠に乏しい情報や、不安を煽るだけの極端な意見、商業的な意図が強いものも少なくありません。
ヘルスリテラシーが低い状態では、そうした情報に振り回され、必要以上に不安になったり、逆に必要な医療から遠ざかってしまう危険があります。

ここで強調したいのは、ヘルスリテラシーの不足は「個人の問題」で終わらない、という点です。
誤った健康判断は、重症化や治療の長期化を招き、結果的に医療費の増大や社会全体の負担増にもつながります。つまり、ヘルスリテラシーは個人の幸福だけでなく、社会全体の持続可能性にも直結するテーマなのです。
また、健康寿命という観点から見ても、ヘルスリテラシーは極めて重要です。
健康寿命とは、「介護を必要とせず、自立した生活を送れる期間」を指します。ただ長生きするだけでなく、「どう生きるか」が問われる時代において、正しい情報を理解し、自分に合った選択を重ねていく力は、まさに“健康寿命の知恵袋”と言えるでしょう。

予防医療、セルフケア、生活習慣の改善、治療の選択肢の理解。これらすべての土台にあるのが、ヘルスリテラシーです。
「医師に言われたから」ではなく、「自分が理解し、納得したから」行動する。この姿勢が積み重なることで、結果として健康寿命の延伸につながっていきます。
では、ヘルスリテラシー向上のために、私たちは何から始めれば良いのでしょうか。
答えは決して難しいものではありません。
・分からない言葉を、そのままにしない
・一つの情報源だけで判断しない
・「自分の場合はどうなのか」を考える
・専門家と対話する姿勢を持つ
こうした小さな積み重ねが、確実に力になります。

だからこそ、今後の急務として、啓発活動には大きな意味があります。イベントや講演の場でヘルスリテラシーを取り上げることは、「知らなかった」という気づきを生む第一歩になります。そして、「質問していい」「理解しようとしていい」「自分で決めていい」というメッセージを社会に投げかけることにもなります。当団体も意識を持ちたいと思います。
ヘルスリテラシー向上は、すぐに数値で成果が見えるものではありません。しかし、確実に人の意識を変え、行動を変え、結果として健康や生活の質に影響を与えていきます。まさに「健康を決める力」を、他人任せにせず、自分の手に取り戻す営みと言えるでしょう。

これからの時代、医療や健康は「与えられるもの」ではなく、「共につくっていくもの」へと変わっていきます。その基盤となるのがヘルスリテラシーです。私たち一人ひとりが学び、考え、対話を重ねていくことが、健康寿命の延伸だけでなく、安心して暮らせる社会づくりにもつながっていくのではないでしょうか。
