
医療コミュニケーションと“意図せぬダークパターン”
――無自覚の誘導が患者の意思決定を揺らすとき――
私たちは日常生活の中で、気づかないうちにさまざまな「誘導」を受けながら行動しています。インターネットのサブスクリプションに気づけば加入していたり、退会ボタンがどこにも見当たらなかったり、ポップアップが繰り返し表示されることで本当の選択肢が見えなくなったりする経験は、誰にでもあるものです。こうした人の心理を巧みに突いた「ダークパターン」は商業領域でよく語られますが、実は医療の場においても、意図せず似たような現象が起きていることがあります。
もちろん、医療の世界で「患者をだます」ような悪意あるダークパターンが構築されているわけではありません。しかし、医療者と患者の間にある知識・立場・緊張感の差が、気づかぬうちに“誘導的なコミュニケーション”を生み出すことがあります。この無自覚な誘導こそ、医療コミュニケーションに潜む“意図せぬダークパターン”と言えるのではないでしょうか。

■ 医療現場に生まれる“暗黙の誘導”
医療は専門性が高く、患者の多くは人生における不安な瞬間に医療者と向き合います。この非対称性は避けることができません。しかし、その非対称性が強く働くことで、結果として患者の選択肢が狭まってしまうことがあります。
たとえば、診察室で以下のような場面が起こることがあります。
- 医師が専門用語を交えながら治療方針を説明し、患者は理解できないまま「先生が言うなら」と頷いてしまう
- 複数の選択肢があるのに、医師が一番勧める治療の説明だけが詳しく、他の選択肢は簡略的に扱われる
- 「多くの方はこちらの治療を選ばれています」と言われ、雰囲気的に反対がしにくくなる
- 忙しそうな医療者を前に、質問を遠慮してしまい、気づけば決定がなされている
- 診察室の入口に人が待っているのを感じ、落ち着いて意思を確認できない

これらは、医療者が意図的に誘導しているわけではありません。しかし、患者の立場から見ると「選ばされてしまった感覚」や「本当は言いたいことが言えなかった」という気持ちが残ることがあります。
心理学的には、患者が「社会的証明」「権威バイアス」「不安」「認知負荷」の影響を強く受けている状態です。つまり、意図しなくても医療者の言葉や態度が“誘導的に作用してしまう”。これが医療コミュニケーションが抱える構造的な難しさなのです。
■ 言葉の順番や説明量も“パターン”になる
医療コミュニケーションは、言葉そのものだけでなく「順番」や「情報量」も患者の意思決定に影響を与えます。
同じ治療選択肢を説明するにしても、
- 先にメリットを話し、後からデメリットを付け足す
- 最初に不安を刺激する情報を話し、その後に治療案を提示する
- “おすすめの治療”を中心に話を組み立てる
- 代替案の説明を短く済ませる
こうした情報の構成は、患者の感情と判断に大きな影響を与えます。
これはマーケティングでは常識ですが、医療でも同じことが自然と起こっています。
本来、医療者は治療の主体ではなく「意思決定を支える立場」です。しかし、説明の順序ひとつで「この治療しか選んではいけないように感じる」状況ができてしまうことがあります。
患者主体の医療を実現するためには、説明の透明性だけでなく、説明のデザインにも意識を向けていく必要があります。

■ 無自覚のダークパターンが生む“患者の不信と孤独”(深刻な問題)
意図せぬ誘導は、医療者に悪意がない分、発見されにくく、改善も遅れがちです。患者が感じる違和感は次第に積み重なり、以下のような状態を生みます。
- 「先生には本音を言えない」と感じる
- 「どうせ聞いてもわかってもらえない」と諦める
- 自分の治療を“自分ごと”として捉えられなくなる
- システムそのものに不信感を抱く
医療は人の不安に寄り添う場であるべきですが、無自覚な誘導が続くと、患者は孤立した意思決定を迫られることになります。これは医療の満足度を下げるだけではなく、ウェルビーイングを損なう大きな要因にもなります。
特に、聴覚情報処理障害(APD)や認知機能の弱さを抱える方、精神的に繊細な人は、説明の構造や速度、声の調子の影響を強く受けるため、より深刻な課題となります。

■ “意図せぬダークパターン”を避ける医療コミュニケーションとは
では、医療コミュニケーションにおけるダークパターン的な構造を減らすには、どのような姿勢が必要なのでしょうか。ここでは、特別な技術ではなく、誰でも意識できるポイントを紹介します。
● 1. 選択肢を“図や表”で可視化する
口頭での説明だけでは、患者は情報を整理できません。視覚的な資料があるだけで、格段に理解が深まります。→ライフトレーシングマップ®の応用
● 2. メリットとデメリットを同じ分量で伝える
説明量の偏りが誘導につながります。中立的な構成が重要です。
● 3. 「いまの説明で不明点はありますか?」ではなく
「ここはわかりづらかったと思いますが、どう感じられましたか?」
のような聞き方をする
患者が“質問しても良い”と感じるかは、医療者の言葉遣いに強く依存します。

● 4. 患者の生活背景を先に聞く
患者の価値観や生活状況を把握することで、治療の説明も過度に誘導的になりにくくなります。
このテーマはシンポジウムも開き、最終的に当団体として「ライフトレーシングマップ®」を考案しました。
しかし、根本的にドクターがあまり見ていない事が分かってきました。医療構造とドクターの資質の問題ではあると思いますが、究極は医療行政に組み込まないといけないと思います。そうすれば、もっと患者さんの事の理解が進むと思いますし、信頼関係もそこから構築されていくのだと思います。

これらはどれも「誘導をしない」ための技術ではありません。
患者が “自分の意思で選べた” と感じられるコミュニケーションを実現するためのアプローチなんです。

■ “優しい医療”は、患者の意思決定を尊重するところから始まる
医療は本来、患者と医療者が協力して未来を選択していく営みです。しかし知らず知らずのうちに、医療者が話す順番、態度、言葉の選び方が患者に影響し、誘導的なコミュニケーションになってしまうことがあります。
意図せぬダークパターンは、悪意の産物ではありません。
患者の不安、医療者の忙しさ、情報の非対称性など、構造的な背景が作り出してしまうものです。
だからこそ、医療の現場には「透明性」「中立性」「心理的安全性」を重視したコミュニケーションが求められます。それは単に“丁寧に説明する”という次元ではなく、患者の選択の自由を守るという、非常に本質的な役割を果たすものです。

優しい医療とは、患者に“寄り添う”だけでなく、
患者の意思決定の主体性を守る医療のことではないでしょうか。
そのために、医療者も患者も、そして社会全体も、“意図せぬダークパターン”という視点を持つことが、より良い医療コミュニケーションの第一歩になると私は考えています。
