
ゼロ1と「1を10にする人」——社会における二つの創造性について
私たちが社会の中で何かを生み出すとき、その役割には大きく分けて二つの方向性があるように思います。一つは、まったく何もないゼロの状態から、新しい何かを立ち上げる人(ゼロ1の人)。もう一つは、すでに芽生えた「1」という種を丁寧に育て、10、さらには100へと育てていく人(1→10の人)です。
先日、この二つは似ているようで根本が違うと書物で読み、私は強く腑に落ちるものがありました。なぜなら、社会の中で多くの誤解は、「ゼロ1が偉いのか」「1を10にする人が偉いのか」という優劣の話にすり替わってしまいがちですが、実際には両方が存在してはじめて社会が前に進むからです。
この二つの能力の違いと、それぞれが社会にとってどれほど重要な存在なのかを、私自身の経験や時代背景を重ねながら考えてみたいと思います。

ゼロ1の人——「存在しない未来」を形にする人
ゼロ1の人とは、いわば地図のない世界を歩ける人です。
誰も見たことのない景色を想像し、周囲がまだ必要性を感じていない段階から構想を練り上げ、形にしてしまう。こうした力は、直感、勇気、好奇心、そしてある種の“孤独への耐性”が求められます。
ゼロ1の人は、次のような特徴を持つことが多いと感じます。
- 何もない状態にワクワクできる
- 「前例がない」はむしろ歓迎
- 反対されたり理解されなくても歩みを止めない
- 成功よりも「実験」そのものに価値を感じる
- 社会の空白に敏感で、誰より先に課題を察知する
こうした資質を持つ人は、社会にイノベーションをもたらします。
ゼロ1は、まさに“種そのものを作る行為”だからです。
ただし、ゼロ1の人には弱点もあります。立ち上げることは得意でも、組織化や運用、制度設計、細部の調整などには関心が薄い場合があるのです。
つまり、ゼロ1は“発火点”であり、“燃やし続ける人”とは限りません。

1を10にする人——「価値を広げ、社会に根づかせる人」
一方の「1を10にする人」は、すでに存在するものを磨き上げ、安定させ、広げていく専門家です。企業の成長や社会システムの構築において、最も多くの場面で必要とされるのはこちらの力だと言っても過言ではありません。
1→10の人には次のような特徴があります。
- 現実を丁寧に観察し、改善点を見つけられる
- 持続可能性の視点を持っている
- 組織内外の調整やコミュニケーションが得意
- すぐには成果が出なくても、積み重ねを続けられる
- 「種」が育つ環境づくりに長けている
ゼロ1が“火をつける人”なら、1→10の人は“火を絶やさず燃やし続ける人”です。
ゼロ1の人が灯した小さな光を、多くの人に届く明かりにするのは、明らかに1→10の人の仕事なのです。

二つの力はどちらがすぐれているのか
この問いが生まれること自体が、実は問題の本質からずれているように思います。
ゼロ1がなければ始まらず、1→10がなければ広がらない——。社会に必要なのは、優劣ではなく役割の違いの理解です。
むしろ、どちらに偏りすぎても健全な社会は維持できません。
- ゼロ1だけが突出すると「思いつきだけで終わる社会」になる
- 1→10だけが強いと「新しいものが生まれない社会」になる
つまり、両者は車の両輪のような関係にあります。

なぜ両者の違いが見落とされるのか
私は、現在の日本では“調和を重んじる文化”が強く働くため、ゼロ1の人が孤立しやすい一方で、1→10型の人は目立たない、という歪みが起きていると感じています。
- ゼロ1は「変わっている」と見られがち
- 1→10は「当たり前のことをしている」に見えがち
ここに、評価の非対称性が生まれます。
しかし本来、1→10の力は社会においてもっと称賛されて良いと私は思います。とくに、医療や福祉、教育、地域づくりといった分野では、1→10の力こそが社会を支える基盤だからです。
時代の変化とともに求められる役割も変わる
私が「ゼロ1と1→10の違い」をより深く考えるようになったきっかけの一つに、令和という時代背景があります。
不確実性が高まり、価値観が多様化し、従来の正解が通用しなくなった今、ゼロ1の需要が急速に高まっています。「これまでなかった視点」が求められているからです。
一方で、私たちの生活はより複雑になり、制度やコミュニティの持続可能性がかつてないほど重要になっています。つまり、1→10の専門性も同じように重要性を増しているのです。
時代が変わるほど、両者の連携が不可欠になります。

役割は固定ではない——人はどちらにも成長できる
興味深いのは、一人の人間にゼロ1と1→10の両面があるケースです。
ただし、同時に発揮されることは少なく、「場面によって変わる」というのが私の実感です。
- 新しい企画を立ち上げるときはゼロ1型
- 実際に運営し、人が集まってきたら1→10型にシフトする
このように、人は状況や目的によって自分の役割を切り替えることができます。
また、ゼロ1の人が1→10の人の目線を学んだり、逆に1→10の人がゼロ1的な発想に触れたりすることで、新しいバランスが生まれていきます。
つまり、役割の違いは資質だけではなく、経験や学習によって育てられるのです。

私自身が感じてきた「ゼロ1と1→10」のバランス
私個人としては、どちらかと言えばゼロ1的な側面に強く惹かれてきました。
新しいコンセプトを考え、人が気づいていない課題を形にし、独自の企画を立ち上げる—こうした瞬間には確かに喜びがあります。
一方で、実際の社会活動を続けていくほど、「1→10の力こそが人を救い、社会を変えていくのだ」と痛感する場面も増えました。
私はゼロ1で種を蒔くことが多いですが、そこで芽生えたものを受け取り、育て、広げ、社会に根づかせてくださる方々がきっといてると思います。その方々の存在がなければ、私のゼロ1は風に飛ばされて消えてしまうでしょう。
この気づきは、私にとってとても大きな学びでした。

ゼロ1と1→10が出会うところに、新しい社会が生まれる
これからの社会は、個人が自由に動ける時代であると同時に、孤立しやすい時代でもあります。
だからこそ、「ゼロ1の創造性」と「1→10の育てる力」が交わる場が必要だと感じています。
たとえば私が構想している「Terminal Station for Connecting with Society」も、その一つの試みです。
ゼロ1が火を灯し、それを見た1→10の人が「それ面白いね、もっと広げよう」と言ってくれる場。
誰かの小さな気づきが別の誰かによって育ち、また別の誰かの力で社会に広がっていく——そんな循環をつくりたいのです。

あなたはどちらのタイプでしょうか?
ゼロ1型と1→10型。
どちらの力も、美しく、尊く、社会にとって不可欠です。
自分はどちらなのか。
あるいは、どちらの力を伸ばしたいのか。
そんな問いを持つだけで、今日からの行動は変わってくるのではないでしょうか。

そして何より、この二つの違いを理解することは、自分自身を責めなくなる第一歩でもあります。ゼロ1の人が「続けられないから自分はダメだ」と落ち込む必要はありませんし、1→10の人が「新しいことを思いつかない」と悩む必要もありません。
あなたの力が必要とされる場所は、必ずあります。
社会は、あなたの役割を待っています。
