「和をもって貴しとなす」という言葉は、聖徳太子が制定したとされる十七条憲法の冒頭に記された言葉であり、日本の精神文化や社会的価値観の基盤をなす概念として広く知られています。この「和」とは単なる対立の回避ではなく、多様な意見や立場を認め合い、調和をもって社会を構築しようとする高度な共生の理念です。しかしながら、現代の日本社会において、この「和」の精神は必ずしも肯定的に実践されているとは言い難く、むしろその理念が形式化し、あるいは形骸化していると感じられる場面も多く見受けられます。

特に昨今の日本社会では、政治的、経済的、国際的な緊張や個人主義の台頭、多様性の誤解など、和を保つことが困難になるような要因が複雑に絡み合っています。つまり、現代社会とは齟齬が生じていると、私は感じております。今回は、「和をもって貴しとなす」という言葉を現代にどう受け止め、どう実践していけるかについて、内外の問題を交えながら考察してみようと思います。

「和」の理念とその歴史的背景

まず、「和」の概念は、単なる調和を意味するだけではありません。相互尊重と共感に基づいた協働を促す哲学的な原理でもあります。古代の日本においては、血縁や地縁に基づく共同体の中で生活が営まれていたため、個人よりも集団の和を保つことが最優先されました。この価値観は長く日本社会に受け継がれ、会社組織や学校、地域社会などにも根を下ろしています。

しかし、現代の社会では、人々の価値観が多様化し、またSNSなどによる情報の拡散や分断が進んだ結果、かつてのような一体感ある「和」は維持しづらくなっているのが現状です。


現代日本における「和」の逆説

現代日本では、「和」が時に「同調圧力」として機能していることが少なくありません。多数派の意見や空気を乱さないことが重視されすぎるあまり、異なる意見を表明することに対して無言の圧力が働くことがあります。本来、和とは異質なものを排除するのではなく、それぞれの違いを受け入れたうえでの調和を意味するはずです。しかし現実には、「出る杭は打たれる」文化に象徴されるように、同質性を重視しすぎる傾向が根強く残っています。

その結果、組織の中では革新や挑戦が抑制される傾向があり、若者や新しい価値観を持つ人々が社会との摩擦を感じることも多いのです。これは企業におけるイノベーションの阻害要因ともなり、日本社会全体の活力の低下にもつながっているといえるでしょう。


国際社会とのギャップ

国際的な視点で見ると、日本の「和」の文化はしばしば好意的に評価される一方で、その裏側にある「衝突を避けすぎる姿勢」や「決断の遅さ」などが課題とされることもあります。欧米諸国では、意見の対立や議論を通じて最善策を見いだす文化が一般的です。一方、日本では対立そのものを忌避しがちであり、会議などでも本音のぶつけ合いが少なく、物事が曖昧なまま進行することがしばしばあります。

これは「和」の美徳と見ることもできますが、グローバル社会においては明確な意思表示や迅速な判断が求められる場面が多く、日本的な曖昧さが足かせになることも否めません。結果として、国際交渉や多国籍企業の中で日本の存在感が薄れる要因の一つともなり得るのです。


多様性との共存と「和」の再解釈

今日の日本社会では、性別、国籍、障がい、価値観などの多様性が一層求められる時代に突入しています。この多様性の中でこそ、「和」の真価が問われているとも言えるでしょう。つまり、違いを否定する「擬似的な和」ではなく、違いを受け入れたうえでの「成熟した和」が必要とされています。

和とは、本来「妥協」ではなく、「理解と尊重」に基づく創造的な共生です。対話と傾聴を通じて、異なる立場にある人々が互いに学び合い、より良い解を見つけていく。そのようなプロセスが、「現代の和」の在り方であるべきでしょう。


「和」を生かすための具体的方策

現代社会において「和」を建設的に活かしていくためには、いくつかの視点が必要です。

  1. 教育における価値観の再構築
     子どもたちに「和」とは何かを伝える際には、「みんなと同じになること」ではなく、「違いを認め合うこと」こそが本当の意味での和であることを教える必要があります。
  2. 組織における心理的安全性の確保
     異なる意見を表明しても排除されない環境づくりが、健全な組織運営には不可欠です。上司やリーダーが率先して多様な意見を歓迎する姿勢を示すことが求められます。
  3. 地域コミュニティの再生
     高齢化や孤独の問題が深刻化する中で、地域における緩やかな「和」の再構築が急務です。誰もが立場や役割に関係なく、気軽に参加できる「居場所」の創出が社会的な課題解決にもつながります。

終わりに

「和をもって貴しとなす」という言葉は、単なる古典的美徳ではなく、今こそ再評価されるべき社会的哲学です。現代における和の実践は、同質性への回帰ではなく、多様性の中の共生という新たなステージに立たなければなりません。そのためには、個人としての意識変革と、社会制度としての柔軟性の両方が求められます。

私たちは今、かつての「和」をなぞるのではなく、新しい「和」を創り出していく責任のある時代に生きているのだと思います。