
~娘を送り出す父親は、結婚式で何を思っているのだろう~
私は三人の息子がいます。
三人とも結婚し、子どもも生まれました。今では四人の孫がいます。
ですから私は、これまで三度、結婚式に出席しました。
もちろん立場は「新郎の父」です。
そして三度とも、最後には「両家を代表しての挨拶」をしました。
何度やっても、あの挨拶は緊張します。
新郎の父として、息子の代わりにお礼を申し上げる。
それまで少し離れたところから結婚式を見ていた自分が、最後の最後に前へ出て、両家を代表して言葉を述べる。
そんな経験を三回しました。
でも、そのたびに、ふと思うことがありました。
「新婦のお父さんは、いったいどんな気持ちなんだろう?」
私は男の子しか育てていません。
だから、娘を持つ父親の気持ちは、正直なところ想像するしかありません。
でも、もし私に娘がいて、その娘が結婚する日が来たとしたら――。
私は、何を考えているのだろう。
そんなことを、少し想像してみました。
「今日なんだな」
結婚式当日。
朝、目が覚める。
いつもと同じ朝なのに、どこか違う。
娘はもう大人です。
今日まで何度も帰ってきた家。
小さい頃は、泣きながら帰ってきたこともあった。
学校のこと。
友達のこと。
恋愛のこと。
仕事のこと。
親には言いたくないこともあったでしょう。
そんな娘が、今日は結婚式を迎える。
「今日なんだな……」
そんな言葉が、最初に出てくるのかもしれません。
そして、ふと幼い頃の娘を思い出す。

小さな手。
まだ言葉も上手に話せなかった頃。
運動会。
入学式。
反抗期。
家族で出かけた旅行。
いつの間にか背が伸びて、いつの間にか親よりもしっかりしたことを言うようになった。
子どもの成長というのは、本当に早い。
親は、その成長を一日一日見ているようで、実は振り返ったときに初めて気づくのかもしれません。
「ああ、この子はもう、自分の人生を歩いているんだ」
そんなことを思うのではないでしょうか。

「嫁にやる」という言葉
昔は「娘を嫁にやる」という言葉が普通に使われていました。
今は、そういう感覚はかなり薄れていると思います。
結婚は、どちらかの家に入ることではなく、二人が新しい家庭をつくること。
私自身も、そう思います。
それでも――。
父親の心のどこかには、昔の言葉が残っているのではないでしょうか。
「嫁にやる」のではない。
「娘を取られる」のでもない。

頭では、ちゃんと分かっている。
それでも、心の奥では、
「娘が、自分の知らない誰かの人生の中へ入っていく」
という寂しさがある。
それは、理屈では消せないものなのかもしれません。
そして、少しだけ悔しいような気持ちもある。
「これまで自分が一番近くで見てきたのに、これからは自分ではない人が、一番近くにいるんだな」
そんな感情も、ひょっとするとあるのではないでしょうか。
結婚式の最中、父親は何を見ているのだろう
結婚式が始まる。
新郎新婦が入場する。
父親は拍手をする。
笑顔も見せる。
でも、その目は時々、娘を追っている。
「ちゃんと笑っているな」
「緊張していないかな」
「大丈夫かな」
そんなことを考えているかもしれません。
そして、新郎を見る。
「この人が、これから娘と一緒に生きていく人なんだな」
そう思いながら、どこかで新郎の表情を見ている。
言葉遣い。
態度。
娘への接し方。
そんなものを、無意識に見てしまうのかもしれません。
父親というのは、意外と細かいところを見ています。
もちろん、娘の選んだ人なのだから信じたい。
信じている。
でも、父親としては、
「どうか、この子を大切にしてやってください」
という気持ちは、簡単には消えないのでしょう。

「お願いします」は、父親からの最後のお願いなのかもしれない
そして披露宴も終盤。
いよいよ、両家を代表しての挨拶。
新郎の父親が話す。
私は三度、この場面を経験しました。
でも、もし自分が新婦の父だったら。
きっと、その言葉を聞きながら、少し違うことを考えているのではないでしょうか。
「この人たちに、娘を託すんだな」
そんなことを思うのかもしれません。
そして、自分の番が来る。
マイクの前に立つ。
会場を見渡す。
娘を見る。
その隣には、これから娘と人生を歩む男性がいる。
何を話せばいいのだろう。
感謝なのか。
寂しさなのか。
祝福なのか。
きっと、その全部なのでしょう。
「本日はありがとうございます」
そんな言葉を口にしながら、本当は、
「娘をよろしくお願いします」
と、心の中で何度も言っているのかもしれません。

そして最後に、父親は娘を見る
挨拶が終わる。
拍手が起こる。
娘がこちらを見る。
目が合う。
その瞬間、父親は何を思うのでしょう。
「幸せになれよ」
たぶん、それだけではない。
「今までありがとう」
「楽しかったな」
「大きくなったな」
「これからは二人で頑張れよ」
いろいろな言葉が、頭の中を駆け巡る。
でも、結局は何も言えない。
ただ笑っている。
もしかしたら、涙をこらえている。
そして思う。
「もう、俺が心配することではないんだな」
それは寂しいけれど、同時に、とても嬉しいことなのかもしれません。

「親の役目が終わる」のではなく、「役割が変わる」
娘が結婚したからといって、親子でなくなるわけではありません。
親の役目が終わるわけでもありません。
ただ、役割が変わる。
手を引いて歩く親から、
少し離れたところから見守る親へ。
何かあったら助ける親から、
必要なときに相談してもらえる親へ。
そして、いつの日か娘が自分の子どもを育てるようになれば、
「親」というものを、娘自身が別の角度から理解する日が来るのかもしれません。
そのとき初めて、
「あのとき、お父さんはこんな気持ちだったのかな」
と思ってくれたら、それだけで十分なのではないでしょうか。

私には、娘がいないからこそ
私は三人の息子の父親です。
だから、本当の意味で「新婦の父」の気持ちを知ることはできません。
これは、あくまで私の想像です。
でも、三度「新郎の父」を経験したからこそ、今になって思います。
結婚式というのは、新郎新婦のための日であると同時に、二人をここまで育ててきた親たちにとっても、一つの節目の日なのだろうと。
新郎の父には、新郎の父の感慨がある。
新婦の父には、新婦の父にしか分からない感慨がある。
そして母親にも、それぞれの想いがある。
同じ一つの結婚式を見ていても、立っている場所によって、見えている景色はきっと違うのでしょう。

無いとは思いますが、もし、もう一度、息子の結婚式に出席することがあったなら、さらに、さらに、新婦のお父さんのことを想像してみたいと思います。
「この人も、今日まで娘を育ててきたんだな」
「今、どんな気持ちなんだろう」
そう思いながら、新婦のお父さんを見る。
そして、心の中でこう言ってみたい。
「お父さん、大丈夫ですよ。これからは私たち親も、一緒に二人を見守っていきましょう」
そう考えると、結婚というのは「家族が一つ増える」というより、
「家族の輪が、一つ広がること」
なのかもしれません。
「嫁にやる」のではない。
「息子をもらう」のでもない。
二人が選んだ人生を、親たちは少し離れたところから見守っていく。
そして、いつか孫を抱きながら、
「あの日は、いろいろなことを考えたな」
と笑える日が来る。

そんな未来まで含めて、結婚式なのかもしれません。
もし仮に私が「新婦の父」だったら――。
最後の挨拶を終えたあと、娘の顔を見て、
「幸せになれよ」
と心の中でつぶやきながら、
たぶん、誰にも見られないように、
少しだけ涙を拭っているような気がします。いや、恐らく号泣なのかもしれませんね。

