
ー慢性神経疾患患者の現実から考えるー
近年、「重複診療を控えましょう」という啓発文言を目にすることが増えました。医療費の増大や薬剤の重複処方による安全性の問題を背景に、行政が注意喚起を行うこと自体は理解できます。しかし、その言葉が現場の患者にどのように響いているのかについては、十分に議論されているとは言えません。
とりわけ慢性の神経性疾患を抱える患者にとって、この「重複診療」という言葉は、時に自らの生活を守るための選択を否定されるかのような印象を与えることがあります。私達は、制度の意義を認めつつも、患者の実情に即した再考の必要性について提言したいと思います。

多系統に及ぶ症状という現実
神経性疾患は、一つの臓器にとどまらない症状を呈することが少なくありません。排尿障害、排便障害、歩行困難、嚥下障害、疼痛、自律神経症状など、身体のさまざまな機能に影響を及ぼします。そのため、泌尿器科、整形外科、リハビリテーション科など複数の診療科を受診することは、患者にとってごく自然な流れです。
これらは明らかに「機能分担」であり、重複とは言えないと思います。曖昧なのは、同一の神経疾患について別の神経内科を受診した場合です。制度上は「同一傷病での複数医療機関受診」とみなされる可能性があります。しかし、患者の側から見れば事情は単純ではありません。
例えば排泄障害は、命に直結しないがゆえに軽視されがちですが、生活の質(QOL)を大きく左右する極めて重要な問題です。外出の制限、睡眠の質の低下、心理的な萎縮、抑うつ傾向など、生活全体に影響が及びます。こうした症状に経験豊富な医師を求めることは、合理的な行動ではないでしょうか。

「重複」と「補完」の違い
ここで整理したいのは、「重複」と「補完」は同義ではないという点です。
本来問題とされるべき重複診療とは、同じ目的で同様の検査や処方を繰り返し受け、情報共有がなされていない状態を指すはずです。そこには医療安全上のリスクや、不要な医療資源の消費という課題があります。
一方で、専門性の違いを活用し、主治医と情報共有を行いながら診療を受ける場合、それは「補完」と言うべきではないでしょうか。医師ごとに得意分野や経験症例の蓄積は異なります。慢性疾患においては、生活の質を維持するために複数の視点を持つことが治療の質向上につながる場合もあります。
制度が「回数」で判断しがちなのに対し、患者は「内容」と「質」で判断しています。この視点の違いが、誤解を生んでいるように感じます。

医療費抑制と患者の自己決定権
医療費抑制は国家的課題であり、その重要性を否定するものではありません。しかし、医療は本来、患者の自己決定を基盤とするものです。自らの身体と生活を守るために情報を集め、専門性を見極め、適切と思われる医療機関を選択する行為は、むしろ医療リテラシーの向上の表れです。
調べますと、がん領域ではセカンドオピニオンが推奨され、複数の医師の意見を聞くことが患者の権利として尊重されています。それにもかかわらず、慢性神経疾患の領域では同様の行為が「重複」として警戒されることがあるのは、やや不均衡ではないでしょうか。
もちろん、無断で複数の医療機関から同じ薬を受け取る行為や、不信感のみを動機とする頻繁な医療機関変更は、医療安全上問題があります。しかし、だからといって一律に警告的なメッセージを発することは、真摯に向き合っている患者を萎縮させる恐れがあります。

定義の明確化という課題
「重複診療をやめましょう」と呼びかけるのであれば、その定義を明示する責任があります。
・どのような状態が重複に該当するのか
・情報共有があれば問題ないのか
・専門性の補完は認められるのか
・患者が相談できる窓口はどこか
これらが曖昧なままでは、現場は混乱します。曖昧な概念は、不必要な不安と対立を生みます。
行政が守ろうとしているのは医療財政と安全性であり、患者が守ろうとしているのは生活の質と尊厳です。本来この二つは対立するものではなく、調整されるべきものです。そのためには、言葉の定義を共有し、透明性を高めることが不可欠です。

協働という視点へ
これからの医療は、監視ではなく協働の方向へ進むべきだと考えます。患者を管理対象とみなすのではなく、共に医療を支える主体として位置づけることが必要です。
重複か否かを問題にする前に、まず問うべきは「情報が共有されているか」「治療目的が明確か」「安全性が担保されているか」という点です。その上で、慢性疾患特有の多面的な症状への対応をどう支えるかを議論すべきではないでしょうか。
慢性神経疾患の患者にとって、医療は単なる治療の場ではありません。生活の設計図そのものです。排泄の安定、歩行の維持、睡眠の確保――その一つひとつが日常の基盤です。そこに対して最善を尽くそうとする行為が、制度上の言葉によって疑念の目で見られるとすれば、それは再考の余地があります。

最後に
「重複診療」という言葉は、本来は医療安全と持続可能性を守るための概念です。しかし、その運用や表現の仕方次第では、患者の主体的な努力を抑制する力にもなり得ます。
私たちが求めているのは無秩序ではありません。情報共有と透明性のもとで、専門性を適切に活用する柔軟さです。そして、患者の生活実感を政策形成の場に反映させる仕組みです。
制度と患者は対立する存在ではありません。互いの立場を理解し、言葉の定義を明確にし、現実に即した運用を模索することこそが、持続可能で信頼される医療への道ではないでしょうか。
「重複」という二文字の裏にある現実を、今一度、丁寧に見つめ直す必要があると感じています。
