
それが違うと分かっていても、なぜ人はそこに留まるのか
――患者団体を例に挙げ、組織に見る人間の根幹部分 考
患者団体の活動を続けていると、ある現象に何度も出会います。
明らかに方向性がおかしい。
倫理的に疑問がある。
運営の透明性に問題がある。
それでも、誠実で真面目な人たちが、そこに留まり続ける。
外から見れば不思議です。
「なぜ声を上げないのか」
「なぜ離れないのか」
しかし、私はこれを単純に“弱さ”とは思いません。
そこには、人間の深い自己防衛の構造が働いていると感じています。

患者団体という“特別な場”
患者団体は、単なる組織ではありません。
そこは、
・診断直後の混乱を共有した場所
・涙を流した場所
・孤独から救われた場所
・「あなたは一人じゃない」と言われた場所
そうした記憶が刻まれた空間です。
つまりそこは、「人生の一部」なのです。
だからこそ、もし団体に問題があると認めてしまうと、自分の過去の支えや希望まで否定することになります。
ずいぶん前に書かせていただきましたが、「認知的不協和」という概念があります。
人は、自分の信念と現実が矛盾すると強い不快感を覚えます。
「この団体は患者のための存在だ」と信じてきた。
しかし実際は、内部に問題がある。
この矛盾は苦しい。
すると人はどうするか。

団体を離れるのではなく、解釈を調整します。
「一部の人の問題だ」
「どこにでも課題はある」
「自分が中にいることで少しは変えられる」
これは逃避ではありません。
心を守るための調整です。
「ここを失ったら、もう居場所がない」
患者団体において、特に強く働くのが「所属の意味」です。
病気を抱えると、社会との接点は狭くなります。
理解者は少なくなります。
職場や友人関係が変化することもあります。
その中で見つけた居場所。
そこを失うことは、単なる退会ではありません。
「社会との接点を一つ失う」ことでもあります。
人間は社会的な存在です。
人は耐えがたい苦痛に直面したとき、防衛機制が働くと書きましたが、
否認。
合理化。
抑圧。
それらは心が壊れないための装置です。
「問題はあるけれど、今は目をつぶろう」
そうすることで、孤立の恐怖を回避しているのかもしれません。

善意の人ほど留まりやすい
皮肉なことに、倫理観のある人ほど、すぐには離れません。
なぜか。
「自分が抜けたらもっと悪くなる」
「患者さんが困る」
「最後まで見届ける責任がある」
これは使命感です。
しかし同時に、“これまで積み重ねた時間を無駄にしたくない”という心理も働きます。
これを「サンクコスト効果」と呼ばれているのはご存じの方々も多いと思います。行政においてもよくある"光景"です。
費やした時間、労力、感情が大きいほど、人はそこから離れにくくなります。
患者団体では、それが“命の問題”と結びついていることさえあります。
だから簡単ではないのです。しかし一方で往々にして「何のための活動なのか?」という部分を置き去りにされてしまいます。

モラハラ関係との共通点
患者団体の構造は、時にモラルハラスメント関係と似た側面を持ちます。
・依存構造
・外との接点の縮小
・内部の価値観の正当化
・「ここを出たら孤独になる」という恐怖
外からは明らかでも、内側では正当化の物語が形成されます。
心理学の世界において、人間には「前向きな錯覚」があり、それが回復力を高めると、ある文献で読みました。
「きっと変わる」
「いつか改善される」
この希望は、同時に拘束にもなります。

では、それは間違いなのか
ここが難しいところです。
自己防衛は、短期的には必要です。
団体が心の支えになっている時期もあるでしょう。
しかし問題は、「それが永続化したとき」です。
問題が構造化され、声を上げる人が去り、残るのは沈黙だけになる。
そのとき団体は、本来守るべき人を守れなくなります。
患者団体は、弱い立場の人の最後の砦です。
だからこそ、内部の倫理性はより高くなければなりません。さらには、結果の検証も必要です。

私たちは何を大切にするのか
私は思います。
人が留まること自体を責めるべきではない。
しかし、構造を放置することは責任放棄になる。
人間は自己防衛を持っています。
それは素晴らしい能力です。
けれど同時に、その能力が「変化を止める力」にもなります。
だからこそ必要なのは、
・安全に疑問を語れる場
・感情と事実を分けて話せる環境
・立場に依存しない対話
患者団体は、
“弱さを抱える人の集まり”ではなく、
“経験を持つ人の集まり”であるはずです。

人間であるということ
「分かっているのに動けない」
それは異常ではありません。
それは人間の設計図の一部です。
しかし同時に、人間にはもう一つの力があります。
“気づいた後、少しずつ変える力”です。
急がなくていい。
一足飛びで決断しなくていい。
けれど、問い続けることだけはやめない。
患者団体が本当に患者のための存在であり続けるために、
私たちはまず、人間のこの構造を理解することから始める必要があるのではないでしょうか。
