―対面コミュニケーションへの渇望ー

若い参加者が増えた理由を考える――対面コミュニケーションへの学び

一昨日、専門医をお迎えして約60分の医療講演と、第2部としてシンポジウムを開催しました。イベントテーマは「知り添う事から始まる未来」で、シンポジウムテーマは「病に知り添うということ」です。私自身もシンポジストとして参加し、会場内は100名超の人達で賑わいました。中の空気は熱を帯び、大変充実した時間となりました。長らく同様のイベントを継続してきましたが、コロナ禍以降、この規模での開催は初めてでした。コロナ以前は年に2回ほど行っていましたから、久しぶりに“人が集う力”を実感した一日だったと言えます。

開催後、強く印象に残ったことがあります。それは、参加者の年齢層が明らかに若くなっていたことです。医療講演というと、どうしても中高年層が中心になりがちだという先入観がありました。しかし今回は、若い世代の姿が目立ち、会場の雰囲気にもそれが反映されていました。この変化は偶然なのか、それとも時代の流れなのか。私はいくつかの仮説を立てて考えてみました。

第一に、人間は本質的にコミュニケーションを欲する存在である、という点です。情報であれば、今やインターネットを通じて簡単に手に入ります。医療情報も例外ではなく、検索すれば病名、治療法、体験談まで瞬時に表示されます。しかし、それでも人は「人の声」を求めます。しかも、それは文字情報や動画配信では代替しきれない、生身の存在が発する空気や間、表情を含んだコミュニケーションです。病気という切実なテーマであればなおさら、誰かと同じ空間で話を聞き、考え、うなずき合う体験は、心の深い部分に届くのだと思います。

第二に、コロナ禍を経験した若い世代特有の感覚があるのではないか、という点です。学校生活や社会への第一歩を、制限の多い環境で過ごした世代は、オンラインでのやり取りに慣れている一方で、「対面の不足」を強く感じてきたとも言えます。便利さと引き換えに、偶然の出会いや雑談、空気を共有する時間が失われました。その反動として、今、対面の場に価値を見出し、意識的に足を運ぶ若者が増えているのではないでしょうか。

第三に、「病気」や「健康」に対する捉え方の変化も影響していると考えます。かつて病気は、ある程度年齢を重ねてから直面するもの、というイメージが強かったかもしれません。しかし現代では、心身の不調、メンタルヘルス、慢性的な違和感など、若い世代にとっても身近なテーマになっています。SNS上では当事者の声が可視化され、「自分だけではない」と知る機会も増えました。その延長線上で、専門家の話を直接聞き、同じ関心を持つ人と場を共有したい、という動機が生まれているように思います。

一方で、異なる見方も可能です。若い参加者が増えた理由は、必ずしも“対面への飢え”や“コミュニケーション欲求”だけではないかもしれません。例えば、情報過多の時代において、信頼できる情報源を見極めることが難しくなっている現状があります。専門医が登壇し、主催者の顔が見えるイベントは、情報の質と安全性が担保されていると感じられやすい。その安心感が、若い世代を引き寄せた可能性も否定できません。

また、イベントそのものの構成や言葉選び、テーマ設定が、結果として若い世代にフィットしていたという見方もあります。「知り添う事から始まる未来」という表現には、治す・治されるという一方向の関係ではなく、共に理解し、共に生きるというニュアンスがあります。上下関係や専門家中心の語りよりも、フラットな対話を重視する今の若者の価値観と、自然に重なったのかもしれません。

ここで重要なのは、若い世代が集まったこと自体を“特別な現象”として消費しないことだと考えます。単に「若者が来てくれた、よかった」で終わらせるのではなく、なぜ来たのか、何を持ち帰ったのか、次に何を求めているのかを丁寧に考える必要があります。対面イベントへの関心が一時的な反動なのか、持続的なニーズなのかを見極めることも欠かせません。

私自身は、今回の経験から一つの確信を持ちました。それは、対面の場には、依然として、そしてこれからも大きな意味があるということです。効率や合理性だけでは測れない価値が、そこには確かに存在します。主催者側としては朝一番から運搬、設営、機材設置などなど、大変な労力を要します。そして作り上げた空間において、人は話を聞きに来ているようでありながら、実は「誰かと同じ時間を生きている感覚」を求めているのではないでしょうか。

医療講演やシンポジウムは、知識を伝える場であると同時に、人と人がつながり直す場でもあります。若い世代がそこに足を運び始めたという事実は、社会全体が次のフェーズに入っている兆しとも受け取れます。オンラインと対面の二項対立ではなく、目的に応じて場を選び、深さを求める動きが始まっているのです。

今回のイベントで感じた手応えは、主催者としての励みであると同時に、新たな課題の提示でもありました。誰のための場なのか、どのような言葉で語るのか、どんな余白を残すのか。これらを問い続けながら、今後も「知り添う」場を育てていきたいと考えています。