「自分のことは自分が一番よく分かっている」という表現を往々目にしますが、果たして本当にそうなのでしょうか? 私は、人間は多面性を持ち、それは相手や環境によって変化するものであると考えています。そのため、自分が自分を理解していると思っているのは錯覚に過ぎないのではないでしょうか。この誤覚によって、時々自分を無意識のうちに誤った方向に誘導しているのが人間だと思います。(少し極論ですが、昔から思っている事でもあり、あくまでも私見としてご理解ください。)

【自分を知るとはどういうことか】
自分を理解するということは、自分の言動や行動をロジックに分析している状態だと考えるかもしれません。しかし、人間は無意識的な行動をすることが多く、その無意識の部分は自分ではなかなか認識できません。そこで大切なのが、他人の視点です。

例えば、「ジョハリの窓」という概念では、自分には見えないが他人には見えている自分の側面を「盲点の窓」と呼びます。この盲点を知るためには、他人との関わりが必須です。

参考)
中島義明ほか『心理学辞典』,有斐閣,1999.
Luft & Ingham – The Johari Window. Dec 20, 2008. http://paei.wikidot.com/luft-ingham-the-johari-window (閲覧日:2021年11月10日)

【自分は変化する存在】
自分とは一般化された構造物ではなく、場面によって変わるものです。例えば、仕事中の自分と、友人との付き合いの中の自分、家族といる時の自分は大きく異なるでしょう。これは人間が「統一性を持たない」ということを意味し、自分は一般化できない存在だということを示しています。

【「わかっている」という錯覚】
自分が自分をよく知っていると思い込むことは、結果的に自分の成長を制限します。人間は自分の考えや価値観を素直に受け入れる性質があり、その精心を持たないと、新しい気付きを得ることが難しくなります。

思うところ・・・
自分はあまり理解できていない。その事実を認めることで、他人の視点を受け入れる姿勢ができ、コミュニケーション力を高めることができるのではないでしょうか。

まとめますと・・・
1. 人は自分を客観視しづらい
心理学の研究でも、「自己認識の限界」はよく指摘されています。例えば、「ジョハリの窓」の概念では、自分では気づいていないが他者には見えている「盲点の窓」が存在します。これは、他者との関わりがなければ知ることができない側面があるということです。

2. 環境や相手によって変わる「自分」
人間の自己認識は相手や状況によって変化します。例えば、職場では冷静な自分、友人の前では陽気な自分、家族の前では甘えた自分…といったように、場面ごとに異なる自分を演じているとも言えます。そう考えると、「自分が分かっている」というのは、ある特定の場面での自分に過ぎないかもしれません。

3. 「分かっている」という錯覚と自己誘導
人は自分の考えや価値観を「絶対的なもの」と錯覚しやすく、無意識のうちに自分に都合の良い解釈をしてしまいます(確証バイアスや自己正当化の心理)。この錯覚があるからこそ、人は自分の望む方向に知らず知らずのうちに進んでしまうのでしょう。

4. 自己を知ることとコミュニケーション力
「自分はすべてを分かっているわけではない」と認識することは、コミュニケーション力を高める重要な一歩だと思います。なぜなら、他者の視点やフィードバックを受け入れる余地が生まれるからです。これによって、より柔軟な対話が可能になり、相手を理解する力も深まるでしょう。

結論として、「自分のことは一部しか分かっていない」ことを認める姿勢こそが、より良い自己理解とコミュニケーションにつながるのではないでしょうか。