「気ずいていますか?何気ない会話が、あなたを支えている事を」そうなんですね、ついつい当たり前のように周りの誰かと話すことが、日常になってしまっていると、その意味や恩恵を受けている事の意識が薄くなってしまいます。今一度、その部分を考えてみたいと思います。次回、4/20のイベントでは多角的な方向から考える事になると思いますが、ここでは総論的に「つながり」を主観を交えて書きます。

人はつながりなしには生きられませんが、同時に、つながりが負担になることもあります。これは矛盾のように見えて、実は「つながり」がもつ二面性を示しているのだと思います。

つながりには、「安心感を与えるつながり」と「義務感や重荷になるつながり」があります。前者は、共感し合える関係や、孤独を和らげる支え合いの場から生まれます。一方、後者は、人間関係のしがらみや、期待に応えなければならないプレッシャーからくるものです。

現代は特に、「つながること」が求められる時代ですが、同時に「どうつながるか」が問われているのではないでしょうか。物理的につながることだけでなく、精神的に自分らしくいられるつながりを築くことが大切になってきているように思います。

また、「つながり」には、密接なものだけでなく、緩やかで自由な形もあります。たとえば、「この場にいるだけで安心する」というような関係性も、一つのつながりです。無理に深く関わらなくても、存在を認め合うだけで十分な場合もあるのではないでしょうか。

令和の時代のつながりとは、単に人と人が結びつくことではなく、個人の心の自由を尊重しながら、それでも孤立しない関係を築くことかもしれません。さらに申せば、最近はSNSの発展で「つながり」の形がさらに多様になりました。でも、その分、薄っぺらいつながりが増えてしまったり、逆に過剰に管理されたりして、かえって孤独を深める人もいるように感じます。

大事なのは、ただ「つながること」ではなく、心地よくつながることなのかなと思います。つながりを義務やプレッシャーではなく、「選べるもの」「緩やかでいられるもの」にしていくことが、令和の幸せに、さらにつながるのかもしれません。どう思いますか?

いずれにしましても、「つながる」事は各々の「しあわせ」を感じる方向へ向かう為の、自然の法則的な役割も果たすと思いますので、まずは、そこを意識する事も大事なのかもしれません。