1977年公開の新田次郎氏原作のこの映画、、20歳ごろにバイト先の「リクレーション」で観に行きました。リクレーションって、今考えると良いバイト先だったなぁ~と、つくづく思います。今や大阪市内に数店舗を構える胡麻切そばの、、あの会社の支店と言いますか、のれん分け店と言いますか、とにかく浪速区本店以外の第一店舗でした。良いお店でしたし。もう半世紀近く前になります。
当時は全く考え無しで観ておりましたが、本当に久しぶりに観ると、社会の縮図の様な背景がそこににはあって、各シーンは覚えているものの一つ一つが持つ意味は凄いものがありました。そこらあたりを考えてみたいと思います。
新田次郎氏の『八甲田山』は、冬山におけるただの遭難小説に留まらず、軍隊の規律や命令に従うことの是非、人間の弱さや絆、そして個人と組織の関係を描いた作品として、非常に深いテーマを内包しています。特に、あの時代の軍隊における「命令絶対」の考え方や、それに対する人間的な葛藤が、過酷な自然環境の中で一層浮き彫りになっています。登山においても組織においても、リーダーの指示に従うことが生存に直結しますが、『八甲田山』ではその絶対的な秩序が過酷な環境でどれほど脆弱になるかが描かれています。行軍の中で、規律と仲間意識がある一方で、極限の状況下では命令が致命的な結果を招く可能性も示されています。
また、極限状況下において仲間や部下と対話することで生まれる人間らしさも、本作の重要なテーマです。軍隊組織の中での絆や葛藤を描き出しつつ、命令への忠実さが仲間の命を危険にさらす可能性もあることを指摘し、組織的な命令に従うか、仲間を守るかという二律背反を見せています。このように、『八甲田山』は人間同士のつながり、もしくはその欠如を浮き彫りにし、無情な自然環境の中での「人間とは何か」という問いを投げかけていると思います。時代を超えた普遍的テーマが背景にありました。
特に感じた事・・・
軍規・命令の絶対性と「人間の限界」
軍隊においては命令への服従が重視され、それが集団としての力に直結していますが、『八甲田山』では、その服従が過酷な自然条件下でいかに無力であるかが浮き彫りにされています。極寒の山中での行軍では、命令に従い続けることが個々人の生死を左右し、命令自体が「現場の状況」を考慮していない場合、集団の命運にまで影響することが明らかになります。これは「人間の意思決定の限界」に関するテーマであり、組織の命令が必ずしも現場に適合するわけではない現実を示唆しています。
組織と個人の対立とアイデンティティの崩壊
組織の一員としてのアイデンティティを強く持つことは重要ですが、極限状況では、個人としての決断が組織的な決断と矛盾する場面が出てきます。『八甲田山』では、将校たちが指揮官としての「職務的責任」を優先しようとする一方で、兵士たちが命を守りたい「個人的本能」に駆られる場面が描かれます。これにより、組織の論理と個人の論理が衝突し、個々の兵士たちが「自分の命をどう守るべきか」という疑問に直面します。つまり、組織の一員であることのアイデンティティが、極限状況では崩壊することがあり得るのです。
「無情な自然」と「人間関係の脆弱さ」
八甲田山の過酷な自然環境は、兵士たちの体力だけでなく精神力も蝕んでいきます。その中で、自然環境に対して人間がどれほど無力であるかが強調され、同時にその無力さが「絆」を求める心を浮き彫りにします。たとえば、信頼をベースとした「対話」や「支え合い」が生まれることが期待される場面もありますが、対話が不足しているために、兵士たちは自分自身を守る術を見出せずに苦しみます。極限環境における人間関係の脆さが、信頼を得られないまま命令に従わざるを得ないという悲劇的な構図を生み出しています。
時代背景と現代の社会的共鳴
『八甲田山』が描かれた背景には、軍事的な命令服従とその危険性を指摘する意図があったとも考えられますが、現代においてもこれは職場での「無意味なルール」や「一方的な指示」への批判と共鳴する部分があります。たとえば、現在の職場でも、現場の状況を無視した「上からの指示」による問題が少なからず存在します。組織の硬直性と対話の欠如が、働く人々にどれほどの負担や葛藤を与えるか、またそれが健康やパフォーマンスにどう影響するかという問題は、現代社会の構造においても共通するテーマです。
新田次郎の『八甲田山』は、単なる遭難事故の描写を超え、軍隊の規律や命令服従が人間の本質に及ぼす影響を見事に描いており、さらに現代社会の職場や集団にも通じるメッセージが含まれています。この作品を通して、「組織と個人のあり方」について改めて考えさせられます。
現代の社会的共鳴性に関して深堀してみます。
組織の硬直性と現場の声の不一致
『八甲田山』の物語で特に印象的なのは、現場の実情に即した判断ができない指揮系統の硬直性です。上層部が命令を出す際、実際の山の厳しさや兵士たちの体調や疲労を軽視しているところがあり、その結果、悲惨な結末を迎えるわけです。現代の企業や官僚制においても、これと似たような問題がしばしば起こります。上層部が現場のリアルな声を無視してトップダウンで命令を出すことが多く、それが従業員や実際の業務に無理を強いることになるのです。特に、現場で感じるプレッシャーや安全性に関する懸念が十分に聞き入れられない場合、組織全体のリスクが増大することがあり、結果的に働く人々の健康や生活に悪影響が及ぶ場合が多くあります。
心理的安全性と組織のパフォーマンス
『八甲田山』における登場人物たちは、上官の指示に疑問を持ちながらも、それを口に出すことができません。極寒の中で命令に従うべきか、それとも自分たちの安全を最優先すべきかという葛藤があっても、それを話し合い反論できる「心理的安全性」がないために、自分たちの不安や意見を共有できないのです。これは、現代の企業や組織においても共鳴するテーマで、心理的安全性が確保されていない職場では、従業員が問題を指摘することをためらい、結果として効率や安全性が損なわれることがよくあります。心理的安全性が高い組織は、逆に従業員が自ら問題を提起しやすく、組織の柔軟性や創造性が向上します。『八甲田山』は、心理的安全性が確保されていない組織がどれだけ非人間的で、リスクの高い環境に繋がるかを痛感させる作品です。
無意味な「パフォーマンス」と目的と手段の逆転
『八甲田山』において、行軍そのものが目的化され、「生存」や「隊員の安全」が後回しにされるという本末転倒な状況が生まれます。このような目的と手段の逆転は、現代の企業や学校などにも見られる傾向で、プロジェクトやノルマが本来の目的から逸脱し、自己目的化してしまう現象に通じます。たとえば、過剰な業務報告や不必要な会議、形だけの残業など、本来の生産性向上や業務改善に貢献しない活動が、形として評価されることが多いのです。こうした「無意味なパフォーマンス」に多くのリソースが割かれると、組織や個人の本来の目標が見失われ、疲弊と摩耗を招くことになります。
組織的無関心と個人の疎外感
『八甲田山』に描かれる無情な自然と軍隊組織の冷徹さは、現代社会での「組織的無関心」を象徴するように思えます。組織全体の指針やノルマが、現場で働く個人の生活や感情、健康を顧みないことで、個人は疎外感を覚え、社会に対する信頼が低下していきます。このような組織的無関心は、労働者のメンタルヘルスにも悪影響を及ぼし、組織のパフォーマンス低下や離職率の増加など、さまざまな悪影響を生みます。
『八甲田山』に登場する軍隊の姿は、現代社会での組織の在り方、特に「命令の無条件な服従」や「現場の声の軽視」などについて警鐘を鳴らしており、私たちに組織の中での個人の尊厳や対話の重要性を再認識させるメッセージが込められているのではないでしょうか。半世紀ぶりに再会した映画について書きました。当時は何も感じなかった映画でも、月日が経てばこれだけ書ける映画だったのです。