日本人は自尊感情が欧米人に比べて低いと思われているようですが、実は高い国民性であると、最近の研究で分かってきたと文献で読みました。しかし、その事は隠しますよね、「謙遜」が美徳というのですか、そのほうが社会から受け入れやすい傾向があると思うのですね。謙遜もそうですが曖昧も日本社会の美徳のような、、そんな文化になっています。その事について書いてみます。

日本の文化において「謙遜」や「曖昧さ」が美徳とされていること、、このような文化的な特徴は、長い歴史と社会的な構造から生まれてきたもので、多くの場面で社会の円滑な運営に寄与していることも事実とは思うものの、時代の変化による『不具合』は様々なシーンで顕著に表れてきていると思っています。

謙遜については、他者との調和を重んじる日本社会において、自己主張を控え、相手を立てることが求められる場合が多いです。これにより、無用な対立を避け、和を保つことができます。しかしながら、現代のグローバル社会においては、自分の能力や意見を適切に主張することも重要であり、日本人が自己評価を適切に持ち、自己表現をより積極的に行う必要があると感じる人が増えているのは自然な流れかもしれません。

曖昧さについても、日本文化の中で多く見られる特徴であり、明確な結論を避けることで多様な解釈を許容し、各人が柔軟に対応することが可能になります。これもまた、調和を重んじる文化の一部です。しかし、ビジネスや国際的なコミュニケーションにおいては、明確な意思表示や具体的なフィードバックが求められる場面が多く、曖昧さが問題となることもあります。

変わる必要性を感じるというのは、個人の成長や社会の進歩にとって非常に重要な視点です。日本社会全体が少しずつ変わっていく中で、個々の意識改革もまた、大きな変革の一部となり得ます。自己主張と謙遜、明確さと曖昧さのバランスを見極めつつ、時代や状況に応じた柔軟な対応が求められているのです。

よく考えますと、あくまでも私見としてお受け取り願いたいのですが、、先の大戦で日本は敗戦国になりましたが、(何と、国連の敵国条項は今だ適用されているとの事です。)それ以前は現在よりも主張や態度のアピールしていたと思うのですよね。なぜ、このような状態になってしまったんでしょうかね?そのあたりを書かせて頂きます。

先の大戦での敗戦は、日本社会に大きな影響を与えました。この影響が謙遜や曖昧さといった文化的特徴に結びついていると考えておりますが、いくつかの要因を挙げてみます。

  1. 戦後の民主化と平和主義: 敗戦後、日本はアメリカ主導の占領下で民主化と非軍事化が進められました。戦前の軍国主義や国家主義からの脱却が求められ、平和主義や国際協調が強調されました。この過程で、強い自己主張や対立的な態度は避けられ、調和を重んじる風潮が強まったと考えられます。
  2. 教育と社会規範: 戦後の教育改革では、個人の自由や人権が強調される一方で、集団の調和や協力も重視されました。これは、戦前の教育が国家や天皇への忠誠を強調していたのとは対照的です。新しい教育システムの中で、謙虚さや協調性が美徳とされるようになり、社会全体に広がっていったと考えられます。
  3. 経済復興と企業文化: 戦後の高度経済成長期において、日本の企業は集団主義的な文化を形成しました。企業内での和を重んじる風潮や、上下関係を重視する文化が定着し、これが社会全体にも影響を与えました。個々の自己主張よりも、組織の調和や協調が求められる場面が多くなりました。
  4. 国際社会での立場: 戦後、日本は敗戦国として国際社会での立場を再構築する必要がありました。経済的には成功を収めたものの、軍事的な面では制約がありました。この状況で、国際協調や平和主義を前面に押し出すことが、日本の国益に適うと考えられた可能性があります。

これらの要因が組み合わさり、日本社会において謙遜や曖昧さが美徳とされる文化が形成されたと考えられます。しかし、繰り返しになりますが、現代のグローバルな社会においては、変わるべき部分も多いという視点は非常に重要で、変革を促すためには、過去の歴史を理解しつつ、未来に向けた新しい価値観や行動様式を取り入れていくことが求められるでしょう。これは簡単には進まないでしょうが、まずは各々がその問題意識を共有する事も重要と考えます。