
近年、医療現場における「低価値医療(Low-Value Care)」の問題が注目されています。これは、患者に対して有益性が乏しい、あるいは害を及ぼす可能性のある医療行為を指す概念であり、過剰診療や不要な検査、効果の乏しい薬剤投与などがその代表例として挙げられます。限りある医療資源を適切に分配するという視点からも、私たちはこの低価値医療について真摯に向き合い、その実態を見直す必要があります。私の意見を主にして、学んだ事を書いてみます。

なぜ低価値医療が発生するのか
低価値医療が起こる背景には、いくつかの構造的要因が存在します。一つは、医師と患者の間における「安心の提供」の構造です。たとえば、頭痛を訴える患者が不安を訴えた場合、医師は重篤な疾患を見逃してはならないという責任感からCTやMRI検査を行います。しかしながら、多くの頭痛は緊急性のない一次性頭痛であり、画像検査が診断や治療に寄与しないケースも少なくありません。
このように「念のため」「安心のため」といった理由で行われる医療行為が、結果として低価値医療に該当してしまうケースがあると思います。また、医療機関側の収益構造も影響しています。検査や処置を行うことで診療報酬が加算される現行の制度では、「行わない」という選択肢が経済的インセンティブと相反する場合があるのです。
さらに、医療訴訟への恐れも影響要因の一つです。仮に診断を見逃してしまった場合のリスクを考慮して、「念のため検査」を行う。これはいわゆる「ディフェンシブ・メディスン(防衛的医療)」と呼ばれ、医師の責任回避の姿勢とも密接に関連しています。

低価値医療がもたらす影響
低価値医療の問題は、単に医療費の無駄遣いにとどまりません。第一に、患者自身が無用な苦痛や不安を抱くことにつながります。たとえば、過剰な検査によって偽陽性(本当は問題がないのに異常と判断される)となった場合、さらなる精密検査や侵襲的な処置を受けるリスクが高まります。これは、身体的な負担だけでなく、精神的なダメージにもつながります。
第二に、医療従事者の時間や労力が、本当に必要な患者に対して十分に割けなくなるという事態が発生します。不要な検査や処置に人員と時間を割いてしまうことで、医療の質そのものが低下する恐れがあるのです。
第三に、医療財政に与える影響も看過できません。日本はすでに高齢社会に突入しており、医療費の増大は国家財政を圧迫しています。限られた資源を有効活用するためには、「費用対効果」に基づいた医療提供が求められており、低価値医療の削減はそのための第一歩となるのです。

医療の「価値」とは何か
では、そもそも「価値ある医療」とは何でしょうか。それは単に症状を取り除く、病気を治すという結果にとどまらず、「患者にとって意味のある医療」「患者の生活の質(QOL)を高める医療」であるべきです。
近年、「Choosing Wisely(賢い選択を)」という国際的なキャンペーンが注目されています。これは、医療者と患者が対話を通じて、不要な医療行為を回避し、より価値のある医療を選択することを促す運動です。日本においても、日本医学会連合が2017年にこの運動に参画し、各学会が「推奨しない医療行為リスト」を提示しています。
たとえば、日本整形外科学会では「変形性膝関節症に対してルーチンでMRIを実施することは避けるべき」としています。こうした取り組みは、医療の質の向上とともに、患者の医療リテラシーの向上にもつながるものです。

患者と医療者の協働の必要性
低価値医療を減らすには、医師だけの努力では限界があります。患者自身が「自分にとって本当に必要な医療とは何か?」という視点を持ち、医療者と協働して意思決定を行うことが重要です。
そのためには、医療者が患者に対して十分な説明責任を果たし、選択肢とそのメリット・デメリットを提示することが求められます。また、患者もまた情報にアクセスし、自身の症状や治療について一定の理解を持つことが大切です。
さらに、医療制度の側でも「過剰な医療」を助長しない仕組みづくりが必要です。たとえば、予防的な観点から定期健診を推奨する一方で、効果の乏しい検査項目を見直す、公的保険の適用範囲を精査する、といった政策的な対応も求められます。

終わりに-「医療の質」は社会全体の課題
医療は、誰もが等しく受けるべき社会的サービスであると同時に、限りある資源でもあります。低価値医療という課題は、単に医療現場の問題にとどまらず、患者、医療者、制度設計者、さらには私たち一人ひとりの「医療との向き合い方」に関わる社会全体の課題といえます。
医療において「何を行うか」と同じくらい、「何を行わないか」を決める勇気と知性が、これからの医療には求められているのです。その選択のためには、情報、対話、そして信頼が不可欠です。誰もが納得し、安心できる医療の実現に向けて、いま私たちは医療の「価値」を問い直す必要があるのではないでしょうか。