戦後79年が2024年という事になるのですが、よく考えると、明治維新から終戦の年(1945年)までが77年で、ちょうど ある意味2022年以来(戦後77年)、違うステージが始まったと言いますか、始めないといけない節目であると思います。この事は慶応大学の前野教授もご自身の著書にも書かれていますが、「人類はある面で同じことを繰り返してきたと言えるのではないでしょうか。ある時代が続くと制度が疲労し、既得権益が広がり、格差が拡大し不満が広がります。社会の歪が蓄積するのです。そんなとき、革命が起きたり、戦争が起きたり、恐慌が起きたりします。そして、蓄積された歪が解放され、オールクリアされます。」

現在の社会状況はまさしくそれを物語っています。世界がそうであるように、本邦においても既得権益の広がりによる格差がそれが普通かの如く、政治を中心に引き起こされています。戦後約80年が経った現在、歴史の繰り返し原則通り、オールクリアされつつあるならば、さて、私達はこの後、どのような社会を目指せばいいのでしょうか?そこで出てくるのは、コロナ禍とはいったい何だったのか?そうなんですね、それを経験しているのですから、今、私達は何が最も大切か?、、分かっていると思うのです。ただ、最も大切なものが『各々の潜在的価値観』という抽象論で片付けられ、議論の中心から外されてきたという歴史があって(一部では研究や議論は継続されてきていますが)、私たち自身が意識的にそこを考える『慣習』は無かった事は否めません。しかし、時代は変化しつつあります。

ウェルビーイングを基本に置いた研究や『見える化』が、すさまじい勢いでこれまでの地位財主義から非地位財中心の社会への転換を含めて、産業領域をも席巻しつつあると思います。つまり、産業分野においての、『健康を売るビジネス』から『幸せを売るビジネス』へ、リデザインされつつあることや、ジョブ型雇用形式が増えてきている事が、社会変化の進行として見て取れるかと思います。さらには「人がもっているから自分も欲しい」的な感覚が減少してきている事、、それは既に主体的・個々のウェルビーイングが始まっていることを実証していると強く感じます。今後、例えば居酒屋さんのキャッチコピーが『飲み放題!食べ放題!でも味でも勝負してまっせ!!』そんなストレートなものから『寄る人達が皆で楽しくなる場!気持ちの再生居酒屋』そんな雰囲気になっていくでしょう。・・・そう思います。