ー親密さと孤立のはざまでー

 かつて「人と人との距離」は、物理的な近さに比例していました。家族は同じ屋根の下に暮らし、友人とは顔を合わせて語り合い、職場では机を並べて働くのが当たり前でした。けれども、SNSが生活の一部になった現代では、その感覚が大きく変化しています。
 今では、手のひらの中で世界中の誰とでも簡単につながることができます。便利であるはずのこの状況は、いつの間にか「距離をどう取るか分からない時代」を生み出しているように思います。以前の投稿の続編になります。


■ 「近すぎるつながり」がもたらす息苦しさ

 SNSのタイムラインには、日々さまざまな人の生活の断片が流れ込んできます。食事、旅行、仕事、恋人との時間……。かつてなら知ることのなかった誰かの日常を、簡単に覗くことができるようになりました。一見、親密さが増しているようにも感じますが、実際には「他人の近すぎる存在感」に疲れてしまう人も少なくありません。

 たとえば、昔の友人の投稿を見て「自分だけが取り残されているようだ」と感じたり、同僚の発信に「反応しないと悪いかな」と気を遣ったり。私たちは無意識のうちに“他者のペース”に合わせて心をすり減らしているのではないでしょうか。

 SNS上のつながりは、情報量が多いほど「距離が近い」と錯覚しがちです。しかし、相手の本音や感情、表情の温度までは伝わりません。むしろ、接点が増えるほど“近いようで遠い関係”になることもあります。 言い換えれば、私たちは“物理的な距離の近さ”を失った代わりに、“心理的な距離の近さ”を過剰に演出する時代に生きていると思うのです。


■ 「遠すぎる関係」がもたらす孤立

 一方で、「近づきすぎること」に疲れた人々は、今度は「距離を置く」方向へと傾きます。
 LINEの既読をつけないようにしたり、SNSをやめたり、集まりの誘いを断ったり、 こうした行動は、一見すると自分を守る手段のように見えますが、行き過ぎると“孤立”につながります。

 人は、他者との関係の中で自分を確認しています、「誰かに見てもらっている」という感覚は、自己肯定感を支える大切な要素です。そのため、関係を断ちすぎると、今度は“自分が見えなくなる”という不安に襲われます。近づけば疲れ、離れれば寂しい、現代人の多くは、この「親密さ」と「孤立」のはざまで揺れているように感じます。


■ 「距離」は固定ではなく、変化するもの

 では、どうすれば“ちょうどいい距離”を見つけることができるのでしょうか。 そのヒントは、「距離を固定的に考えないこと」だと思います。

 人間関係の距離は、時間や状況によって変わってよいものです。ある時期は頻繁に連絡を取り合い、ある時期は少し距離を置くとか、、、近いことが愛情の証でも、遠いことが冷淡の証でもありません。

 本当に成熟した関係とは、「今どのくらいの距離が心地よいか」をお互いに感じ取りながら、自然に調整できる関係ではないでしょうか。

 日本語には「間(ま)」という言葉があります。会話の「間」、空気の「間」、そして人と人との「間合い」。これらはすべて、固定された距離ではなく、関係の“呼吸”のようなものです。「この人とは、今どんな“間”が心地よいのか」――その感覚をつかむ力が、これからの時代にはますます求められるように思います。


■ 「共感疲れ」という現代の課題

 以前も書きましたが、心理学の分野では「共感疲れ(empathy fatigue)」という言葉がよく使われます。
 他人の気持ちに共感しすぎて、自分の感情がすり減ってしまう状態のことです。SNSでは、日々多くの悲しみや怒り、社会問題が共有されますが、それらに反応し続けるうちに、心が振り回されてしまうのです。

 “共感できる人”であることは確かに大切です。しかし、現代では“共感しすぎない勇気”も必要ですし、他人の痛みをすべて自分の中に取り込むことは、優しさではなく、むしろ自分を見失うことにつながります。

 距離を取ることは、決して冷たさではありません。むしろ、適度な距離を保つことでこそ、相手を尊重することができます。 真の共感とは、「相手の感情を理解しながらも、自分を見失わないこと」ではないでしょうか。


■ 「つながり」を再構築する時代に

 これまでの日本社会は、「一体感」や「和」を重んじてきました。
 もちろん、それには良い面もありますが、同調圧力が強すぎると、個人の自由や自律が犠牲になることもありました。

 コロナ禍を経験した私たちは、強制的に「距離を取る」ことを学びました。しかしその中で、「距離があってもつながれる」という新しい感覚も生まれました。
 オンラインでの対話や、離れていてもお互いを気づかうメッセージのやりとりなど、その形は多様です。しかし、ここにも落とし穴が存在する事にも気がつきました。さらには、この事が世代間の溝を浮き彫りにし、"切り捨て時代"にも突入していると感じるようになってきました。

 今、社会全体が“つながり方の再構築”の途上にあります。大切なのは、つながることそのものではなく、「どんな距離感でつながるか」ということだと思います。頻繁に会わなくても信頼できる友人、あまり話さなくても安心できる家族―― そうした関係こそ、これからの時代の「豊かさ」を形づくるのではないでしょうか。


■ 「距離感のセンス」を育てるには

 距離感は、単なる技術ではなく“感性”に近いものです。そして、その感性は相手と真剣に向き合う経験を通してしか育ちません。

 「近づきすぎて失敗した」「距離を取りすぎて関係が途絶えた」――そんな経験は、距離感を磨く大切な学びになります。むしろ、失敗を恐れて関係を浅く保ち続けるほうが、人としての成長を止めてしまうのかもしれません。

 大切なのは、関係の“深さ”ではなく、“呼吸のしやすさ”です。お互いが心地よく呼吸できる距離を見つけることこそ、現代人が人間らしいつながりを取り戻す鍵になると感じます。


■ 最後にー距離とは、愛のかたち

 「距離」という言葉には、どこか冷たさを感じるかもしれません。けれども、本当はその逆です。相手を思うからこそ、適度な距離を保つことができます。

 親子であれ、友人であれ、恋人であれ、「あなたの自由を大切にしたい」という思いの裏には、深い愛情があるのです。近づきすぎず、離れすぎず――その間(あいだ)にこそ、人と人との温もりがあるのではないでしょうか。

 これからの時代は、ただ「つながる」ことを目的にするのではなく、“距離の中にあるつながり”を見つめ直すことが求められています。
 距離を恐れず、むしろその中に思いやりと尊重を見いだせるようになったとき、私たちはようやく、本当の意味で「他者と共に生きる」ことができるのだと思います。