近年、教育やビジネス、子育て、医療・福祉の現場において、「自己肯定感」という言葉が広く語られるようになりました。自己肯定感とは、端的に言えば「自分自身の存在や価値を肯定的に受け止める感覚」のことです。自分はここにいて良い、自分には価値がある、自分にはできることがある――そうした思いを育てることは、確かに健全な心の成長や対人関係の安定、チャレンジ精神の醸成に寄与するとされています。実際、多くの研究や実践事例が、自己肯定感の高さと幸福感、社会的成功、回復力の高さなどの相関を報告しています。

しかし、自己肯定感を「高く保つこと」そのものが目的化したり、社会的に推奨されすぎたりすると、思いがけない落とし穴や副作用が生じることがあると思うのですよね。今回は、そのような ちょっとへそ曲がりな“逆説的な現象”について考えてみたいと思います。

1. 「高い自己肯定感」が持つプレッシャー

「もっと自分を肯定しよう」「あなたはもっと自分を好きになっていい」といったメッセージが、啓発本やSNS、教育現場でも頻繁に発信されています。しかし、このメッセージを素直に受け止められない人も少なくありません。むしろ、「自己肯定感が低い私はダメなんだ」と、自分を責める材料になってしまうこともあります。

また、「自己肯定感が高い人=成功している人」「ポジティブな人」「自分を信じている人」といったイメージが強調されると、自分の中にある不安や迷い、弱さといった自然な感情を否定してしまう危険もあります。つまり、「自己肯定感を高く保たねばならない」という新たな“義務感”や“自己啓発の呪縛”に囚われてしまうのです。

2. 他者との比較という落とし穴

自己肯定感を高めるプロセスが、「他者との比較」を基盤にしてしまうこともあります。たとえば、「私はあの人よりも成績が良いから自信が持てる」「他人より成功しているから自分には価値がある」という思考です。このような比較型の自己肯定感は、環境や人間関係が変わった瞬間に簡単に崩れてしまいます。

また、こうした比較思考の裏側には、他者を下に見ることでしか自分を保てないという不安定な土台が隠れています。結果として、自信があるように見える人ほど、実は他者を批判したり軽んじたりすることでしか自分を支えられない――そんな歪な状態に陥ることもあります。

3. 「自己肯定感の高い人」が抱えやすい盲点

自己肯定感が高いことが、その人自身の視野の狭さや独善性につながってしまうこともあります。「自分には価値がある」「自分のやっていることは正しい」と確信するあまり、他者の立場や意見に耳を傾けることが難しくなるケースがあるのです。

とりわけ、リーダーシップを発揮する立場の人や、教育・医療・支援の現場にいる人にとっては、「自分が正しい」と思う気持ちが強くなりすぎると、結果的に“支配”や“押しつけ”に近い関わり方になってしまうリスクがあります。謙虚さや内省の感覚が弱くなると、意図せずとも他者の感情や多様性を抑圧してしまうのです。

4. 「自分らしさ」と「変化の柔軟性」の葛藤

自己肯定感を高く持つことは、「自分らしく生きること」と密接に結びついています。確かに、他人の期待や評価に左右されすぎず、自分の価値観を大切にすることは重要です。しかし、「自分はこういう人間だから」という強い自己認識が、「変わること」「学ぶこと」への柔軟性を損なうこともあります。

たとえば、「自分は内向的な性格だから人付き合いが苦手なのは仕方ない」と思い込むことで、コミュニケーションスキルを伸ばす機会を逃してしまうこともあるでしょう。あるいは、「自分は常に前向きな人間でなければ」というイメージに固執するあまり、つらい気持ちや無気力さを認められず、心のバランスを崩してしまうこともあります。

5. 自己肯定感は「育む」ものであって「持つ」ものではない

こうした様々な落とし穴を考えると、「自己肯定感を高く持たなければならない」という意識そのものが、実は逆効果になり得るということに気づかされます。自己肯定感とは、無理に「持つ」ものではなく、日々の中でゆっくりと「育まれる」ものなのではないでしょうか。

成功体験、失敗からの回復、他者との温かい関わり、社会とのつながり、そして時には挫折や孤独を通してこそ、本物の自己肯定感は形作られるのだと思います。その過程において、自己嫌悪に陥る日もあるかもしれませんし、自分の存在意義に迷う日もあるでしょう。けれども、そうした“揺らぎ”を許容し、受け止めることこそが、深い意味での自己肯定なのではないでしょうか。

まとめ

自己肯定感を持つことは、確かに人が健やかに生きるために大切な要素です。しかし、それを「高く持つべき」と強調しすぎたり、常にポジティブであることを求めたりする社会的風潮には、一度立ち止まって考える必要があると感じます。むしろ、自分を完全に好きになれない日があってもよい、失敗して落ち込んでもよい、そんな“不完全な自分”をも受け入れることが、真の意味での自己肯定ではないでしょうか。

一人ひとりが、比較でも理想像でもなく、自分自身の歩みに寄り添いながら、時間をかけて自らの価値を見出していける社会。そんな「ゆるやかな肯定感」が、多くの人の心を支える柱になることが、本来の意味合いではないでしょうか。最近、その様に思います。