私たちが社会の中で生きていく上で、常に問われるのは「何を優先して生きるのか」という姿勢です。その中で「先義後利(せんぎこうり)」という言葉は、人生の指針ともなりうる重要な価値観を示しています。これは、中国の古典『孟子』の中に見られる言葉であり、「義(ただしさ)を先にし、利(もうけ)を後にする」という意味を持ちます。

現代社会は、結果や成果が強く求められる時代です。効率や収益性、競争力など、「利」が先行する風潮の中にあります。しかし、そうした風潮の中にあっても、「義」を先に据える生き方を心がけることには、深い意味と価値があります。それは、自らの良心に忠実に生きる姿勢であり、他者との信頼を育む根本的な土台でもあります。

◆ 先義後利の意味と背景

「先義後利」という言葉は、儒教の教えに根差しています。儒教において「義」とは、人としての道、すなわち道徳的に正しい行いを指します。反対に「利」は、自分自身の利益や損得勘定です。孟子は「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉でも知られるように、たとえ損をしても正義を貫くことの大切さを説いています。

つまり、「先義後利」とは、自分の行動が社会的に正しく、道義にかなっているかを最優先にし、それによって得られる利益は二の次でよい、という価値観です。これは単なる道徳の話にとどまらず、長期的に信頼される人間関係や持続可能な社会の礎を築くものでもあります。

◆ 実生活の中の先義後利

私はこの「先義後利」という言葉を時折意識しながら、日々の活動に取り組んでいます。特に、人と接する場面や、意思決定を求められる場面において、「これは自分にとって得か損か」という基準ではなく、「これは本当に正しいことなのか」「人として誠実でいられるか」を問うようにしています。

もちろん、理想と現実のはざまで葛藤することも多々あります。現実には、「正しいこと」を貫こうとすると、かえって時間がかかったり、誤解されたり、損をすることもあります。ですが、そうした過程を経て得た経験は、自分自身を成長させ、信頼を得ることにもつながります。

社会貢献活動や人との関わりの中では、時に「報われない努力」や「理解されにくい選択」が求められることもあります。しかし、その場面こそ「先義後利」の精神を大切にし、自らの心の軸をぶらさずに進んでいく姿勢が問われているのだと思っています。

◆ 邪念との向き合い方としてのマインドフルネス

私は、自分自身の心を整えるために、日々マインドフルネスや瞑想を取り入れています。呼吸を見つめ、雑念を手放し、今この瞬間に心を置く――その訓練を通して、自分の内側と対話し、静かに「義とは何か」を見つめる時間を持つようにしています。

とはいえ、日常の中で完全に邪念を手放すことは難しく、むしろ「またこんなことを考えていた」と気づくたびに、自分の未熟さを痛感することもあります。しかしその気づきこそが大切であり、「生きている限り学びは続く」ということを日々実感しています。

マインドフルネスは、自己啓発の手段であると同時に、先義後利の実践を助ける精神的基盤でもあります。たとえば、他者のために何かをしたとき、その行為が本当に「義」に基づいたものか、それとも見返りを期待していたのか――その内省を促してくれるのです。

◆ 生き方としての先義後利

「先義後利」という言葉は、一見するとストイックで理想主義的な響きを持ちますが、決して難解なことではありません。それは、日々の些細な選択の積み重ねの中にこそ表れます。

たとえば、困っている人に手を差し伸べるかどうか。誰かの失敗を責めるのではなく、支える姿勢を持てるかどうか。自分の立場よりも正しさを優先できるかどうか――こうした一つひとつの選択が、「義」を優先する生き方に直結しているのです。

また、これは自分自身を誇れる生き方でもあります。他人の評価ではなく、自分の内なる声に耳を傾け、「これは正しい」と信じられる道を選ぶこと。それは、生きていくうえでの支えであり、どんな時代にも色あせない信念となります。

◆ まとめ:勉強は一生の旅路

年齢や経験を重ねる中で、私は「生きている限り、勉強は続く」という真理を強く感じています。どんなに学んでも、どんなに実践を重ねても、人間としての完成形などは存在しません。むしろ、学び続けることそのものが、人間の尊さであり、美しさなのではないかと思います。

「先義後利」という言葉は、その学びの指針であり、日々の行動における羅針盤のようなものです。そしてマインドフルネスや瞑想という手段を通じて、自分自身の内なる義を探り、また人と誠実に向き合いながら歩んでいきたいと、私は考えています。

これからも時に迷い、時に悩むことはあるでしょう。それでも「まず義を思い、利を後にする」という志を胸に刻みながら、静かに、そして確かに歩みを進めていきたい――そう思える今日この頃です。