今朝の2時ごろ玄関チャイムが鳴りました。私の住んでるマンションの近所の比較的親しい方が「お父さんが風呂場で倒れているので助けてほしい!」でした。
そちらは御夫婦だけで住まれているのですが、この一年は奥さんが認知症になり、以前の様な会話が少なくなってきていました。奥さんが92歳、ご主人が97歳という日本の社会問題の典型的な形でもあるのか知れません。どちらかと言えば、97歳のご主人が奥様の介護をされていたように思います。ご高齢なので、コミュニケーションが取れにくくなってきていましたが、私達夫婦も気にしておりました。
そして行ってみると、満杯の水の浴槽に上半身だけを突っ込み、下半身は外に出ている状態のご主人を発見しました。蛇口から水は出たままで浴槽から水が溢れ落ちていました。奥様は震えていて、、認知症もあるので違う部屋に家内が連れていき座ってもらい、介抱していました。
そして警察に連絡して、その後は大変な状況になり、第一発見者、通報者の私への事情聴取などなど、今の時間になりました。人の死を目の当たりにし、救急隊が引きずり上げてリビングの床にご主人を横たえて、死後硬直も始まっており、それはそれは悲しい限りでした。奥さんは意味があまり理解できず、それが何とも痛ましかったです。
勿論、そういう経験は初めてで、人の死生観を改めて考えています。
儚さと生の重みについて
人の生の儚さ・・生は有限であり、その終わりがいつ来るかは誰にも分かりません。しかし、その「はかなさ」こそが、生の一瞬一瞬を特別なものにしています。亡くなられたご主人の97年もの長い年月を生きられたこと、それ自体が一つの奇跡であるのでは?そう思ったりしています。そしてその背後には多くの物語や、支え合ってきたご夫婦の絆があったはずです。しかし、奥様がその現実を完全に理解できない状態であることも胸を締め付けられるような事実です。そこにもまた、人間の脆さと同時に、他者との繋がりの意味を痛感します。それは絶対に必要なのです。・・・本日は言葉にできません。
この経験を私達の活動に活かしたいと考えます。