生きる』という映画がありました。1952年に公開された日本映画で、監督は黒澤明、主演は志村喬。無為に日々を過ごしていた市役所の課長が、胃がんで余命幾ばくもないことを知り、己の「生きる」意味を求め、市民公園の整備に注ぐ姿が描かれています。2022年に英国でリメイクされています。内容は本編そのままです。地方行政の問題点を背景に、きっかけは置いておきまして、行政という仕事の『変革』を目指した一人の人間の物語です。命を懸けて進めた改革も、本人が亡きあと、共に最後のシーンは旧態依然とした庁内の様子が描かれています。日本の官僚制度の閉鎖的な側面と、組織内での変革に対する抵抗を強く象徴していると感じます。

先日、某県知事の百条委員会での『証人喚問』が行われていて、全てライブで視聴いたしました。その事にも関係する内容になるかと思いますが、書かせて頂きます。とにかく、日本のメディアでは訳の分からない”コメンテーター”と称する人間が、勉強不足で知りもしない事をステレオタイプ丸出しで朝からあれこれ言っておるようですが、変な国になっているようです。

日本の行政機関では、しばしば「和をもって尊しとなす」という考えが根強く、個々の意見や斬新なアイデアが歓迎されにくい状況があります。目立つことで、既存の体制に反発と見なされ、キャリアを損なうリスクを恐れて、誰もが無難な選択をするという風潮が存在しています。このような環境では、組織全体としての進歩が妨げられ、結果としてサービスの質が低下しやすくなるのは避けられません。

この状況を変えるには、まずリーダーシップの在り方が重要です。組織のトップが変革を推進し、リスクを取ることを奨励する文化を育てる必要があります。また、失敗を許容する環境を整えることで、イノベーションが促進されると思っております。職員一人ひとりが自分の仕事に誇りを持ち(プロ意識)、市民にとっての価値を最優先に考えるようになることで、行政サービスの質が向上し、真の意味での公僕としての役割が果たされる事とに繋がると思っています。

私の経験を申します。庁内のあるセクションの長が居てました。その人は様々な職業の経験があり、民間レベルではあり得ない庁内感覚を変え、幾つかの官民協働のプロジェクトも成し遂げて市民からの評価も受け、さらにはセクション内の職員に”プロ意識のある仕事の遂行”という、これまでに無かった新たな気づきを徹底しました。結果、そのセクションは一丸となり、そして仕事に対する気構えも明らかに変わってきました。最大の功績は、旧態依然とした仕事の進め方に甘えている人物、所謂、自分の生業は何なのか?それが分からない人物の評価をデーターを基に、下げた事でした。そして、その事も評価され、さらなる変革を期待される『案』も首長からも打診される立場になりました。

そこで、首長が変わりました。首長の側近には4~5人の古参部長クラスが存在しています。保身の塊で、そんなやり手は”邪魔”になる訳で、結局、左遷配置と言われる配置換えが行われました。新首長は圧力に関しては否定しながら、一方で転属したセクションの重要性、変革の必要性を説明しました。一時は退職も考えた変革者は”いまに見ておけ!”と、新首長の期待を3か月で新セクションでやり遂げ、そのチームもまとめ上げました。勿論、本人の努力は凄まじいものがあったと想像は出来ます。

このような市民目線ではなく、無毛な権力欲、保身があっての組織作り等々、先日行われた某県知事の『証人喚問』の背景には、その様な旧態依然とした行政の”特殊な手法・事情”があったと、私は思っております。当事者のリーダーとしての資質の問題や、所属政党の体質を含めた他の要素もあるのは当然ですが、ネックになったのは”旧態依然とした手法”と、”新しい手法”のせめぎ合いだったのではないでしょうか?犠牲者までも出ましたが、その方々はどのような人だったのか?知りたい気持ちが大きいです。

日本だけでなく、多くの国々で官僚機構が硬直化し(映画がリメイクされた現実を踏まえると)、自己保身が優先されるケースが見られようです。これにはいくつかの要因がありますが、以下のような理由と例を挙げて考えてみます。

  1. 自己保身のメカニズム
    官僚制は、しばしば長期的な安定を優先し、変化やリスクを避ける傾向があります。これは、個々の職員がキャリアの安全を確保するために目立たないように行動することに繋がが、組織全体としての革新が阻害されます。

例: 英国では、ブレグジット後の移民政策の見直しが議論されましたが、多くの官僚は現状維持を選択し、新しい政策の導入が遅れました。彼らは、失敗の責任を問われるリスクを避けるため、変革を避けることを選んだのです。この結果、移民関連のサービスの質が低下し、国民の不満が増大しました。日本においては、東日本大震災後の復興支援に関する対応がその一例です。震災後、被災地の復興に向けた支援が急務とされましたが、各省庁がそれぞれの権限を守るために連携が不十分であったため、予算配分や支援策の実行が遅れました。特に、既得権益を守るために、新しい支援プログラムの立ち上げに対する抵抗が強く、復興が遅れた地域もあります。これにより、被災者への支援が不十分となり、復興が進まない地域が続出しました。

2.官僚の転勤による継続性の欠如 /組織文化の硬直化
 地方行政では、官僚が数年ごとに転勤することが一般的であり、これが政策の継続性に悪影響を及ぼすことがあります。転勤によって、それまでの施策やプロジェクトが中断され たり、新しい担当者が前任者の意図を十分に理解せずに進めたりすることが多々あります。そして組織文化の硬直化とは、組織が長期間同じ体制で運営され、新しいアイデアや変化に対する抵抗が強くなる現象を指します。この結果、組織は環境の変化に対応できず、サービスや業務の質が低下します。

例: 地方の都市再生プロジェクトで、担当者が頻繁に交代するために計画が遅れ、結果的に地域経済の振興が滞るケースがあります。新しい担当者が前任者のビジョンや計画を十分に理解していないため、一貫した施策が行われず、地域住民の信頼を失うことになります。日本の例では、教育委員会制度が典型的な例です。教育委員会は、戦後から基本的な構造がほとんど変わらず、硬直化しています。例えば、いじめ問題や教育の質の低下が社会問題化しているにもかかわらず、教育委員会が問題解決に積極的に取り組むことが難しく、現状維持にとどまるケースが多いです。新しい教育政策や改革が提案されても、既存の文化や慣習に縛られ、変革が遅れがちです。(ちなみに前述の”変革者”は某地方行政でこの部署の変革に立ち向かっております)

3.責任の分散と透明性の欠如
 責任の分散とは、組織内で意思決定が複数の部門や階層で行われることで、最終的な責任が誰にあるのかが不明確になる状態を指します。透明性の欠如も同様に、意思決定過程が見えにくく、外部からの監視や評価が難しい状況を意味します。

例: 森友学園問題は、この問題の一例です。森友学園への国有地売却に関するスキャンダルでは、財務省や関係する官僚の間で責任の所在が曖昧になり、最終的に誰が決定を下したのかが不明確なまま処理されました。責任が分散され、透明性が欠如していたため、最終的な問題解決が遅れ、国民の信頼が大きく損なわれました。

4.人材不足と技術的な遅れ
 地方自治体では、優秀な人材の確保が難しく、特に情報技術やデータ分析といった専門的なスキルを持つ人材が不足しています。これが行政サービスの質を低下させる一因となっ ています。

例: 地方自治体でデジタル化を推進しようとした際、技術的なスキルを持つ職員が不足しており、システムの導入や運用が滞りました。これにより、市民サービスのデジタル化が遅れ、他の先進国に比べて大きな遅れを取ることになりました。人材不足が行政の近代化を妨げ、効率性や住民満足度の低下を招いています。

結論
日本の地方行政は、縦割り行政、転勤による継続性の欠如、財政の硬直化、保身とリスク回避の文化、人材不足と技術的な遅れといった、複数の問題を抱えています。これらの問題を解決するためには、組織文化の改革や人材の確保、政策の一貫性の確保など、さまざまなアプローチが必要です。地方自治体が市民に対して真に有益なサービスを提供し、地域の発展を促進するためには、これらの課題に真剣に取り組む必要がありますが、党利党略が優先されるような現社会において、さて、それは可能なのでしょうか?メディア報道の在り方を含め、険しい道、高い壁が目の前にあるように思います。