
こちらでも良く取り上げていました『ウェルビーング』の文字が、最近は各メディア等で見受けられなくなってます。この数年、ウェルビーングという言葉がすごい勢いで広まっていましたよね。最近、急にそういうことがなくなってきている理由としては、トランプ大統領の再就任が関係しているのかと、私は思いますので、そのあたりを少し考えてみます。とにかく、「世界経済もウェルビーングで回る!」そのようにまで言われていました。

① 「社会の空気」を左右するリーダーの影響
米国大統領トランプ氏の再登場以降、世界的に政治の文脈が「分断」や「自己主張」「自国優先」へと傾いたのは確かです。
このような時代の空気は、“個人の幸福”や“つながり”といった内省的テーマよりも、競争・生存・自己防衛の言語が優勢になる傾向を生みます。
つまり、ウェルビーイング(well-being)のように「全体の調和」や「心の豊かさ」「関係性の質」を重視する概念は、社会のムードが対立的・攻撃的に傾くと、「理想論」「きれいごと」と見なされやすくなると思うのです。

② 「ポジティブな言葉」への倦怠と揺り戻し
数年前までウェルビーイングはブームのように扱われていました。
企業のPR、自治体のスローガン、教育現場の指導方針にも浸透しつつありましたが、その急速な広がりが逆に「言葉の軽さ」を生んでしまった面もあります。
つまり、人々は「本当に幸せを感じているか」よりも「幸せでなければならない」という強迫的な幸福観に疲弊し始めたのです。
そして世界的なリーダー(例:トランプ氏)の登場によって、「優しさ」や「共感」よりも「強さ」や「勝ち負け」が再び称揚される空気が広がると、ウェルビーイング的言語は一時的に“時代遅れ”に見えてしまう。そのように考えています。

③ 「不安の時代」ではウェルビーイングが後退する
経済不安・国際紛争・パンデミック・AIによる職の不安定化――
これらが重なる時代には、人々は「幸福」よりも「生存」や「安全」に意識を向けます。
トランプ氏のようなリーダーが象徴する「強い国家」「自己責任」「排他的保守主義」は、まさに不安を背景とした“心理的防衛”の表れです。
このような時代背景では、ウェルビーイングという「余裕のある社会の言葉」が後景に退くのは自然な流れでもあります。

④ とはいえ、根は消えていない
ただし、これは“消滅”ではなく“静かな熟成期”に入っただけだと私は見ています。
ウェルビーイングの理念は一過性のブームを越え、いまや医療、教育、組織マネジメント、行政計画などに着実に埋め込まれつつあります。
つまり、「見えなくなった」のではなく、“言葉としてのウェルビーイング”から、“仕組みとしての幸福”へと移行している段階なのではないでしょうか。
リーダーの言動が表層の言語の流行を左右することはあっても、社会の根底にある「人は幸せに生きたい」という欲求そのものを変えることはできません。

⑤ 総括 ― リーダーの変化と社会の心理的重心
リーダーは、社会の「鏡」でもあり「方向づけ」でもあります。
トランプ氏のようなリーダーの登場は、人々の心理的重心を“内省”から“対立”へとシフトさせ、その結果、ウェルビーイング的な語彙が一時的に後退した。
しかし同時に、そうした分断の疲れが次のフェーズで再び「つながり」や「心の豊かさ」を求める動きを呼び戻す――この“振り子の動き”こそが、社会の成熟過程なのだと思っておりますが、さて、そんな単純なことでしょうか?そう思いたいですが。
