
音楽というものは、不思議な力を持っています。
人の心を励まし、癒し、涙を流させ、時には立ち上がらせる。言葉が届かないところまで届くのが音楽であり、人間が生み出した最も純粋な“共通言語”なのかもしれません。私はこれまでの人生で、その力を何度も体感してきました。特に、若い頃に味わった苦境の中で、音楽は私にとって「唯一の友」であり、「自分自身を支える拠り所」でもありました。

倒産という現実の中で
大学3年のある日、突然、家業が倒産しました。
当時の私は、特別裕福でもなければ、何かに恵まれていたわけでもありません。ただ、大学生活の中で、将来の夢を模索しながら普通に過ごしていました。しかしその日を境に、すべてが変わりました。家族はそれぞれの場所で再出発を余儀なくされ(離散)、私は借金を背負う立場となりました。
返済のために休学を決意しました。後期試験が受けられず3年生で履修した単位はほとんどゼロ。生活のためにバイトを掛け持ちし、住む場所も失いました。友人の家に転がり込んで寝泊まりしながら、半月ほどでなんとかアパートの初期費用を稼ぎ、一人暮らしを始めました。
今、思い返せば、よく心が折れなかったと思います。若さの勢いもあったでしょうが、何よりも「音楽」が私を支えてくれたのです。結局、大学は復学できましたが、紆余曲折、入学から6年を要しました。

涙とギターと、夜の部屋
夜、バイトから帰ってきて、小さな部屋でギターを抱える。冷え切った空気の中、ストーブもない部屋で、息を白くしながら弾き語りました。
適当な言葉を即興で口にしながら、気づけば涙が頬を伝っている。「くそ、負けるものか」と、何度そう口にしたか分かりません。
音楽は、そのとき私にとって“祈り”に近いものでした。誰かに聞かせるためではなく、自分の存在を確認するために弾き、歌っていたのだと思います。悲しみや不安を抱える夜でも、ギターの音を鳴らせば、心のどこかに温もりが戻ってくる。音楽は、沈黙の中に灯る小さな明かりのようでした。
レコードもよく聴きました。擦り切れるほど同じアルバムを聴き、レコード針が止まるまで、布団の中でまどろむ。そんな日々が続きました。
あのとき聴いていた音楽の一音一音が、今でも私の心のどこかに残っています。まるで、自分の血の中に溶け込んでしまったように。

音楽がくれた「寄り添い」
不思議なもので、音楽には「共感」が宿っています。たとえ言葉が分からなくても、旋律の流れや声の震え、リズムの躍動から、歌い手の心が伝わってくる。
それは、言語を超えた“人と人との対話”のようなものです。
人は孤独の中で、誰かに理解されたいと願います。でも、その「誰か」がいない時、音楽が代わりに寄り添ってくれる。私の場合、音楽は“無言の友”でした。
言葉を選ばなくても、音楽は分かってくれる。愚痴も弱音も受け止めてくれる。
だからこそ、苦しいときほど、音楽に頼る人が多いのでしょう。
人は、音楽を聴くことで“生きる力”を取り戻すことができる。音楽には、心の奥に眠る“再生力”を呼び覚ます力があるように思います。

世界共通の言葉としての音楽
この「音楽の力」は、決して特定の文化や言語に縛られません。
ベートーヴェンの交響曲を聴いて涙する人もいれば、アフリカの太鼓のリズムで心が解放される人もいます。言葉が違っても、音が伝える感情は共通しています。
たとえば、悲しみの旋律は、どの国の人にも“悲しみ”として伝わる。喜びのリズムは、どんな人の心にも“高揚”を生む。これこそ、音楽が“世界共通言語”と呼ばれる所以だと思います。
科学的にも、音楽が人の脳に与える影響は数多く研究されています。ストレスの軽減や記憶の活性化、さらには社会的つながりの促進など、音楽の効果は多方面に及びます。
しかし、私が思う音楽の本質的な力は、もっと素朴なところにあります。
――それは、「人の心に寄り添う」という一点です。

音楽が「人」をつなぐ
時代がどれだけ変わっても、音楽には“人をつなぐ力”があります。
コンサート会場で見知らぬ人同士が一つの曲で心を通わせる瞬間。路上ライブで足を止めた誰かが、気づけば涙を流している瞬間。そこには、言葉を超えた理解と共感が生まれています。
私たちは、ふだん「言葉」でつながろうとしますが、言葉には限界があります。誤解されることもあれば、伝わらないことも多い。けれど、音楽はその“間”を超える。理屈ではなく、感情で通じ合えるのです。
今、社会が分断や孤立に向かいつつある時代だからこそ、音楽の存在はますます大きいと感じます。
孤独な人にも、傷ついた人にも、言葉を失った人にも、音楽は届く。
「あなたはひとりじゃない」というメッセージを、静かに、でも確かに伝えてくれるのです。

音楽と人生の共鳴
私にとって、音楽は“鏡”でもありました。
楽しいときにはリズムが弾み、悲しいときにはメロディが沈む。音楽は、私の心の動きをそのまま映し出してくれました。そして、時には私の知らなかった自分の感情を気づかせてくれた。
人生はリズムの連続です。速くなったり、遅くなったり、時には不協和音を奏でることもある。でも、その“音の揺らぎ”こそが人生なのだと思います。
音楽を通して、私は「生きる」ということのリズムを学びました。
若い頃に弾いていたギターは、今も部屋の隅にあります。
たまに弦を張り替えて音を鳴らすと、あの頃の自分が帰ってくる気がします。
「よく頑張ったな」と、心の中で昔の自分に語りかける。
あの時、音楽があったからこそ、私は折れずに生きてこられたのだと思います。

終わりに ― 音楽は生きること
音楽とは、人の感情が生んだ“もうひとつの言葉”です。
誰かの悲しみが旋律になり、誰かの希望がリズムになる。そして、それを聴いた誰かの心がまた震える。こうして音楽は、人と人の間をめぐりながら、命をつないでいく。

もし、あの苦しかった時代に音楽がなかったら、今の私はいないかもしれません。
音楽は、ただの娯楽でも、装飾でもありません。
それは「生きる力そのもの」なのだと、今になって思うのです。
――音楽は、世界共通の言葉であり、同時に“生きるということ”そのものなのです。