
人はなぜ、歩みを止めないのでしょうか。
仕事の重圧、家庭の問題、孤独や喪失感――人生には何度も立ち止まりたくなる瞬間があります。それでも、なぜか私たちは完全に歩みをやめてしまうことができません。どこかで「もう一日だけ」「あと少しだけ」と思える自分がいる。その小さな灯のような心の声こそが、人を明日へと導く原動力になっているのではないでしょうか。マラソンの銀メダリストである君原健司氏の印象深い言葉があります。「私は苦しくなると、あの街角迄、あの電柱まで、走ろう」その様に思ったということで、マラソン人生での途中棄権はゼロだそうです。

■ 「続ける」ということの正体
「続ける力」と聞くと、多くの人は根性や努力を思い浮かべます。確かに、困難を乗り越えるには粘り強さが必要です。しかし本当の「続ける力」は、単なる忍耐ではありません。
それは「意味を感じられるかどうか」という、人の内面にあるきわめて繊細な感覚に支えられています。
人間は極限状態に陥った時、例えばナチスの強制収容所の中では、「生きる意味を見失った人から先に命を落としていった」との記述を読みました。絶望の中でも「自分にはまだやることがある」と信じた人は、かすかな希望を糧に生き延びたといいます。
つまり「続ける力」は、体力や精神力の問題ではなく、“自分の行動が何かにつながっている”という感覚――「意味づけ」の力なのです。

■ 他者の存在が生む“もう少しだけ”
医療や福祉の現場に身を置く人々の中には、過酷な環境でも笑顔を絶やさずに働く人がいます。
「なぜそんなに頑張れるのですか?」と尋ねると、返ってくる言葉は意外とシンプルです。
「待っている人がいるから」「誰かが喜んでくれるから」。
人は他者とのつながりの中で、自然に“続ける理由”を見出します。
介護職の女性が「利用者さんが『今日も来てくれたね』って言ってくれるのが嬉しい」と笑うとき、そこに特別な理屈はありません。しかし、その一言が日々の疲労を和らげ、次の日への力を生み出しているのです。
心理学では「承認欲求」と呼ばれるそうですが、単に“褒められたい”ということではありません。人は「自分が誰かの役に立っている」と感じられる瞬間に、存在の確かさを取り戻すのです。
この“役に立つ実感”こそが、続ける力の背後にある最大の心理的支えです。

■ 希望は「光」ではなく「音」のように
希望というと、遠くで輝く光のようなイメージを持つ人が多いでしょう。けれど実際の希望は、もっと静かなものです。
それはむしろ“音”に近い。大きく響くメロディではなく、心の奥で微かに鳴るリズムのようなものです。
あるときは誰かの声に重なり、あるときは自分自身の中から聞こえてくる。
その音を聞き逃さないこと――それが「続ける」ための秘訣です。
たとえば、リハビリに励む患者さんの中には、歩けるようになる見通しがなくても練習を続ける人がいます。理由を尋ねると、「娘の結婚式で立って写真を撮りたいから」と、、凄く気持ちがわかります。
この「誰かのためにもう少しだけ」という想いは、希望の“音”です。それは大声ではないけれど、確かに心を震わせ、前へ進むエネルギーを与えてくれます。

■ 「意味」は変化していくもの
ただし、“続ける理由”は、固定されたものではありません。
昨日の理由が今日も通用するとは限らない。むしろ、人は成長や環境の変化に応じて「意味の形」を変えていく生き物です。
教師として長年子どもたちを教えてきたある男性は、定年を迎えたあと「もう誰の役にも立てない」と落ち込みました。しかし、近所の子どもたちの宿題を見てあげるうちに、「自分がまだ社会とつながっている」と感じるようになったといいます。
“続ける理由”は、社会的地位や役割がなくても見出すことができる。むしろそれは「何を成し遂げるか」よりも、「誰と関わりながら生きるか」によって育まれるのです。
つまり、同じ出来事でも「見方を変えることで意味が変わる」という考え方です。続けるためには、「意味を固定せず、柔らかく持つ」ことが大切と思います。

■ 「がんばる」のではなく「寄り添う」
現代社会では、「がんばる」ことが美徳とされがちです。しかし、心が疲れ切ったときに必要なのは、がんばりではなく“寄り添い”です。
自分自身に対しても、他者に対しても。
教育現場でも、子どもたちに「もっと頑張れ」と言うより、「今のままでも大丈夫」と伝えることで、かえって自発的な力が湧いてくることがあります。
医療の現場でも、患者が「治さなければ」と思いつめるより、「今日も笑えた」と感じる瞬間の方が、回復のきっかけになることがあります。
“続ける力”は、叱咤ではなく安心から生まれる――これは、人の心理の根幹にある真理です。
福祉においても、支援者がすべてを解決する必要はありません。ただ「あなたの頑張りを見ていますよ」と伝えるだけで、支えられる人がいます。
明日へ手を伸ばす力は、励ましよりも共感の中で生まれるのです。

■ 「明日」が見えない夜にも
人は、明日を信じるから歩くのではありません。歩くことで、明日が少しずつ見えてくるのです。
夜の中を手探りで進むとき、灯りを持っていなくても、人は歩くたびに小さな火をともします。
それは、希望の“前払い”のようなものです。
実際、長い闘病生活を送る人々の多くが「明確な目標」よりも「今日を乗り越えられた実感」を支えにしています。
明日への手を伸ばすとは、未来を予測することではなく、いまの自分を肯定すること。
どんなに暗くても、「この一歩には意味がある」と信じられるかどうか――そこに、人の生きる力の核心があります。

■ “続ける力”を支える社会へ
個人の中に宿る希望の灯を絶やさないためには、社会の側にも「支える構造」が必要です。
孤立した人が“もう少しだけ”を選べる環境とは、単に制度が整っていることではなく、「誰かが見ている」「話を聞いてくれる」と実感できる社会のことです。
その意味で、医療・福祉・教育の現場は“希望の交差点”です。
支援者がほんの一言かけるだけで、当事者の中に「もう一日続けてみよう」という小さな炎が灯る。
その炎を絶やさずに見守ることこそ、専門職に求められる最大の使命かもしれません。今一度、考えて頂きたいと思います。
「明日へ手を伸ばす理由」は、人の数だけ存在します。
しかしそのどれもが、“誰かとのつながり”という見えない糸で結ばれています。その糸が社会全体に優しく張り巡らされるとき、私たちはきっと、もっと安心して明日へ手を伸ばせるようになるでしょう。

■ 思い ― 明日への一歩を信じて
人生は、上手くいかないことのほうが多いものです。思い通りにいかない日々の中で、それでも「明日へ手を伸ばす」私たちの姿には、静かな美しさがあります。
それは、完璧でも、強くもない人間が、それでも諦めきれずに生きようとする姿。

その姿こそが、希望そのものです。
そしてきっと、あなたが明日へ手を伸ばす姿を見て、また誰かが“続けてみよう”と思うのです。
希望は、伝染します。
だから今日も、ほんの少しだけ手を伸ばしてみませんか。
そこに、あなたの灯があるのです。