
―― 存在を認めるという関わり方 ――
これまで何度となく話題にしてきましたが、現代社会において「孤独」は深刻な社会課題の一つとなっています。高齢化社会の進展、核家族化、SNSなどデジタルコミュニケーションの浸透による対面交流の減少は、人と人との関係を希薄にし、誰もが孤独と隣り合わせで生きる時代になりました。しかし、人が孤独を感じる要因は、物理的に一人でいることではありません。むしろ、周囲に人がいても「誰にも理解されていない」「ここに自分がいる意味がない」と感じるとき、人は強烈な孤独感に襲われます。
では、「孤独にさせない人」になるとは、どのような関わり方を意味するのでしょうか。それは、単に話しかけたり励ましたりすることではなく、相手の「存在そのものを認める」姿勢にかかっているのではないかと私は考えます。

1.「会話」では癒されない孤独
多くの人は、孤独な人を見つけると「声をかければいい」「一緒にいてあげればいい」と思いがちです。もちろん、それは善意に基づく大切な行動です。しかし、どれだけ多くの言葉を交わしても、心の奥に届かなければ、相手の孤独は癒されません。むしろ、表面的な会話で取り繕われることで、孤独感が深まることすらあります。
たとえば、病気や障がいを抱えた方が「大丈夫?頑張ってね」と言われても、相手の痛みや不安に踏み込むことなく励まされたとき、むしろ自分の状態が「見えていない」と感じ、心を閉ざすことがあります。つまり、「言葉」は万能ではなく、相手の心に届くには、「この人は自分を理解しようとしている」「否定せずに受け止めてくれている」という実感が必要なのです。

2.存在の承認とは何か
「存在の承認」とは、相手の状態や感情、背景にある人生そのものを評価せずに「あなたはあなたでいい」と認めることです。それは、功績や役割、発言の内容を評価するのではなく、ただそこに「いてくれること」自体に価値を見出す姿勢です。
たとえば、認知症の方が過去の記憶を繰り返し話す場面で、「その話はさっきも聞いたよ」と遮るのではなく、「それは大事な思い出なんですね」と相づちを打つ。それだけで、その方の「私はここにいてもいいんだ」という感覚が保たれるのです。
あるいは、若者が悩みを語るときに、アドバイスや指導を急がず、「そう感じるんだね」「それはつらかったね」と言葉を返すだけでも、彼らは「わかってもらえた」と感じるでしょう。そうした関わりは、相手の「自己存在感」を支え、孤独感を和らげる力を持ちます。

3.「聴く」ことの力と難しさ
存在の承認の第一歩は、「相手の話を聴くこと」です。しかし、ここで言う「聴く」は、単に情報を得るための聴取ではありません。相手の言葉の背景にある思いや事情をくみ取り、判断を加えずに受け止めることです。つまり、「共感的傾聴」です。
これは非常にエネルギーを使う行為です。自分の価値観を一時的に脇に置き、相手の心情に寄り添うことは、簡単なようで難しい作業です。しかし、その姿勢が「あなたの存在を大切に思っています」というメッセージとなり、相手の孤独を癒す土壌を育むのです。

4.関わる側にも癒しが生まれる
興味深いことに、存在の承認を実践することで、実は「孤独にさせない人」自身もまた癒されていくという側面があります。他者をありのままに認めるという行為は、自分の中の評価や比較の枠組みをゆるめ、自他共に「そのままでいい」という許しの感覚を広げていきます。
このような関係は、損得や正誤を超えた深い安心感をもたらし、「人と人はつながっている」「自分も誰かにとって意味のある存在である」と実感できるのです。つまり、孤独を癒す関係は、一方向のケアではなく、双方向の癒しを生むものなのです。

5.「孤独にさせない社会」への道
私たち一人ひとりが、「存在の承認」を心がけることで、社会は少しずつ変わっていきます。家庭の中で、学校や職場で、地域の中で、「相手を評価する前にまず認める」という姿勢が広がれば、誰もが安心して自分を表現できる場が生まれます。
また、医療や福祉の現場においても、「支援する」「指導する」といった一方的な関係ではなく、まず相手の存在を尊重する関わりが基本になれば、援助を受ける側の孤独感や無力感は大きく軽減されるでしょう。
もちろん、すべての人間関係において理想的な関わりを実現することは難しいかもしれません。しかし、日常の中でふと立ち止まり、「この人は今、認められていると感じているだろうか?」と自問するだけでも、私たちの言動は少し変わるはずです。

さいごに・・・
「孤独にさせない人」になることは、特別な才能やスキルを必要とするわけではありません。それは、目の前にいる人の「存在そのもの」に目を向け、評価せず、比べず、ただ「いてくれてありがとう」と思える心の姿勢にかかっています。

孤独を癒すのは、雄弁な言葉でも完璧な支援でもなく、「あなたがここにいることを、私は受け止めている」という静かなまなざしなのです。そのまなざしこそが、人を孤独から救い、同時に自分自身の心もあたためる力を持っています。
人間関係が複雑で、表面的なやりとりが増えた現代だからこそ、「存在を認める」というシンプルで本質的な関わり方を、私たちはもう一度思い出す必要があるのではないでしょうか。