自己効力感を高める事は非常に大切な事と思う反面、落とし穴もあるのではないでしょうか?その人に合ったレベルが必要かと思いますが、それがまた難しくて、経験による裏付けが自然に身につけば良いのですが、過度な期待感の反動は時には落ち込む要因にもなってしまいます。

自分にはできるという感覚があると、人は行動を起こしやすくなり、困難にも挑戦しやすくなります。しかし、それが過剰になったり、土台が脆弱なまま期待だけが先行すると、まさに「落とし穴」になることもあります。

◆ 自己効力感は「意志力」ではなく「感覚」

私は、自己効力感は「意志力」ではなく「感覚」であり、「育てるもの」だと考えています。
自己効力感の醸成に必要なのは、「失敗をしてもいい」「不完全でも進んでいい」という寛容な土壌と、他者とのつながりによるフィードバックです。その人がその人らしく前に進めるような“適温”の環境があってこそ、自己効力感は健やかに育ち、逆に過熱や冷却(過信・過小評価)は、その感覚を壊しかねません。

「過度な期待は成長を促すようでいて、時に“自己否定”を内包していることがある

このことを忘れずに、互いに「できたか・できなかったか」ではなく、「どう感じたか・どう進めたか」に目を向ける対話や環境が、今の時代には必要だと思います。

◆ 育つのは「適温」の環境において

「自己効力感は“育つ”ものである」という視点も極めて重要です。それは単に「強くなる」ものではなく、「大切に育まれる」もの。そのためには、

  • 失敗してもいいと思える寛容な土壌
  • 自分のペースを受け止めてもらえる関係性
  • 完全ではなくても進める自由
  • 進捗より感覚に焦点を当てるフィードバック

こうした“適温”の関係性や空気感が必要です。「過熱」(=過度な期待やプレッシャー)や「冷却」(=無関心・否定・比較)は、自己効力感という繊細な感覚を壊す可能性があります。

◆ 成長の名のもとに潜む「自己否定」

「過度な期待は成長を促すようでいて、時に“自己否定”を内包していることがある」

このことを見過ごすと、「成長」や「改善」という言葉のもとに、人の現在地やそのままの価値が否定されてしまいます。
たとえば、

  • 「まだそんなこともできないの?」という期待
  • 「もっとできるはず」という励まし

は、時に「今のあなたでは足りない」というメッセージとして届いてしまうのです。

◆ “できた・できなかった”ではなく、“どう感じたか・どう進めたか”

評価基準を「結果」から「プロセス」へと転換する必要性は、今の社会、とりわけ教育・医療・職場などの対人支援の現場において非常に重要と思います。

  • 「今日はできなかったけど、昨日より不安は減った」
  • 「間違えたけど、自分で修正できた」
  • 「怖かったけど、話しかけてみた」

こうした“感覚”や“内面的な変化”をすくい上げる視点が、自己効力感の芽を確実に育てる気がします。

◉補足的視点:他者との「共感的なつながり」が果たす役割

「他者とのつながりによるフィードバック」は、自他の境界を尊重しながらも、鏡のように自己感覚を整える働きがあり、大切な部分であります。

  • 共感的に話を聞いてもらう
  • 自分では気づかなかった「強み」や「進歩」を教えてもらう
  • 比較ではなく、共に感じあう関係を築く

これらは、自己効力感を“社会的な感覚”として回復させてくれる非常に大切な要素です。